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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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チョイと調べたい事があって、昭和63年の正倉院展図録を眺めておりました。
この図録の最後に『雑物出入継文(全巻)』というやつが載っています。
明治時代の正倉院文書整理の弊害とでも言うべきでしょうか、この頃、バラバラになっていた文書類を、とにかく関連ありそうな物同士、表紙だろうが背紙だろうが構わずに繋げるような事をしてくれたそうです。
お陰でこのような『継文』がいくつも出来上がっているらしいです。

この文書だけ解説がないのですが、東大寺正倉に納められたり出されたりした物の記録である事は確かです。
古いもので天平勝宝四(752)年、新しい方では弘仁二(811)年、各々の文書の長さはまちまちです。
この途中に出て来る『宝亀十年十二月六日』が、本日の問題(^_^;)
宝亀十年は西暦779年、光仁天皇の御世です。

      双東大寺正蔵
治葛肆両
 右親王禅師何請
       宝亀十年十二月六日
中納言藤原朝臣縄麻呂 奉

とまぁ、若干出ない文字がありますが、こんな具合に書かれています。 
親王禅師が薬草の葛を請求したのだと思うのですが、問題となるのは日付なんですよ(-_-;)
こいつは割り合いに有名な史料なのですが、私は実のところ全然気に留めておりませなんだ。
『親王禅師』が誰かといいますと、早良親王の事として今のところ反論を聞いた事もありません。
つまり、この人って父親の崩御の二年前にはまだ、東大寺にいたって事になるのか?
そうすると還俗したのはいつになるんだ???
う~ん(゜.゜)、こいつをやっぱり踏まえるべきなのか、いや、親王禅師は果たして一人なのか?
とりあえず、書く準備をしている話には関係しないが、この辺を頭に入れて置かないといけませんわ。
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