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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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119699ae.jpeg今日も内容とは関係のない画像です。
これは『春日若宮おん祭』の『頭屋児』ですが、私は不勉強でして、『松の下式』でこの子供たちがどのような役目をしているのかが、未だに分かっておりません。
何せ、おん祭の解説書を見ても、この子供たちの名前はあるのですが、役目までは書いてありません。
稚児として神様に仕える身なので、『松の下式』以外では地面に足を着けてはいけないのでしょう、このように大和侍の人たちに肩車されて退出して行きます。

今日はこれでもかと言うほど寒かったのですが、幸いにして雪は降らず、白毫寺の『えんまもうで』に行きまして、その後、またもや春日大社や博物館近辺でうろついておりました。
おかげで全然、仕事が進みやしませんわ。

それにしても、この何日か『橘奈良麻呂の変』の経緯を眺めて色々考えているのですが、この事件のごく最初は、佐伯全成の証言にある天平十七年の難波行幸での出来事から始まっているのだと思われます。

そして天平勝宝七歳の、左大臣家の資人らしき佐味宮守の証言に対し、天皇も皇后も口を閉ざそうとしているのは、さて、誰かを庇おうとしているのでしょうか?
もしかして、御二方とも既に難波行幸の直後には、何らかの計画があった事を知っていたのかもしれませんが確証はありません。
庇うなどという下世話な事ではなく、事件が実際に起きてしまった時の混乱を考えれば、取り返しのつかないほどの被害があると分かっていたからこそ、内々に伏そうと考えたのでしょうか?
いずれにしても、この時は立場はかなり違うのですが、光明皇太后と左大臣橘諸兄の目指すところは合致していたようです。

(゜.゜)、この異父兄妹、実のところ、どこまで意見の一致があったのでしょう。
印象としては、常に裏の方で角突き合せているような気がするんですけどねぇ???
それにしても光明皇太后という人の政治的センスは、やはり父親譲りなのでしょう。
藤氏の大者が時々、大事を表に出さずに水面下で抑えようとするような動きを見せているのですが、この女性もその例に漏れないという感じですか。
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