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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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8月8日15時、テレビの画面を眺めていた。
 天皇陛下は自らの御歳や御体の事に触れ、象徴としての御役目を果たされる事が困難になりつつあると、御気持ちを言葉にされる。
 昭和天皇の御闘病から崩御、そして御自身の即位への過程を身をもって存じ上げておられる。不遜乍ら、昭和から平成を過ごした我々の世代も、そう古い事でもなく、色々と憶えている。だからこそ、言葉の端々が時に頭のどこかで共鳴する。
 そして最後に

 「国民の理解を得られる事を切に願っています」

 そのように結ばれた時、心なしか息が苦しくなるような思いで目頭が熱くなる。何か身につまされるように感じる理由は分からない。

 20時、NHKスペシャルを見ていた。
 雲仙普賢岳の火砕流が起きた年、体育館に避難する人々の前に、ノーネクタイでワイシャツを腕まくりという姿で御出でになった映像が流れる。
 あの様子を報道した時、ニュースキャスターは妙に嬉しそうに、天皇陛下のこの様な御姿に親近感が湧くと言っていた。
 その後も、様々な場所を皇后様と二人で訪問される姿が続く。精力的に動かれ、笑みを絶やさずに気軽に御言葉をかける。しかし、寄る年波に体調を崩される事もある。そうして、自らの処し方に思いをはせられるようになる。象徴としての天皇の存在を途絶えさせてはいけない。考えてみれば、皇太子様は天皇陛下の即位された年を越してしまわれたのか。
「お気持ちに沿うようにしてさしあげたい」と皇后様も言われる。

 最後の言葉に息が詰まる思いがしたのは、これなのかなと、何やら理解した様な気がする。





 あの日は雨だったなと思い出す。テレビカメラは、八瀬童子らが担ぐ柩を正面から捉えていたように覚えている。野辺送りの歌は、古事記の倭健命の葬送で歌われたものだったか。昭和の終わった日、テレビはどこの局も同じ『大喪の礼』の映像を流していた。

 昭和64年、天皇崩御の報にインタビュアーが、街ゆく人にマイクを向ける。
「歴史上、希に見る平和な時代を過ごした天皇だと思いますよ」したり顔で二十代の若者が言う。
 こいつ変だ、何でこんな馬鹿代表の答えなんか全国放送する?そう思っていた矢先、
「あの戦争の時は、本当にお辛い立場だったでしょうねえ。その後、ようやくに平和な時代も訪れて、陛下もお変りになられました。でも、御苦労なされた御生涯だったと思います」戦争の時代を知っている世代の女性が涙ぐむ。
 なかなかに意地の悪い構成のニュースだと苦笑が漏れる。

 御即位の儀の報道はあまり覚えていない。
『平成』って変な年号だね、平らに成れって読める。そう言って笑うコメンテーターがいた。
 その頃に生まれた子供たちは、今や頼もしい若者になっている。そんな人たちに昨日も何人か会って話をしていた。まさにポケモン世代だという事。
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