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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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 春日大社の『御田植神事』は、毎年3月15日に行われます。そういう訳で、これも一月半前の行事( ̄▽ ̄)。o0○
 御田植は三か所で行われます。最初は『林檎の庭』、そして『榎本神社』の下で、更には『若宮社』でも行います。これらの画像は、『榎本神社』でのものです。


 御田植ですので、まずは牛が出て来て田起こしをします。


 そして、お百姓さんが均します。


 八乙女の登場。神職の方々が奏する意味深な歌に合わせて、御田植の舞が始まります。赤い襷と袴がとても鮮やかです。腰に下げている籠は、形が蛙に似ているので蛙籠というそうです。よく見ると目らしき黒い点が付いているのですが、チョッと分かり易い画像がなくて残念。


 振りは何となく盆踊りを彷彿とさせて、鄙びた感じが可愛らしく思えます。いつも拝見する社伝神楽とは、かなり雰囲気が違います。御囃子の「ヤーレー、ヤーレー」という言葉が、随分と頭の中で回ってくれますσ(^◇^;)


 そして苗を植えます。松葉の苗と殻付きの稲籾、更には細かく切った餠を蒔いています。縁起物として、参拝の方々がこぞって拾って行きました。
 私も頂いたのですが、田んぼもないのに宝の持ち腐れ、相応な知人に差し上げました(^^)


 この後、若宮社に場所を変えて、同じ御田植が行われます。


 つつがなく神事の舞も終わって、御巫さんも神職さんも大宮の方へと帰って行かれました。拝者の服装を見ると、まだ寒そうな頃でしたねぇ……(-_-)
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春日大社の最も重要なお祭りが『春日祭』です。
行われるのは、毎年3月13日ですから、一月半も前の話ですねσ(^◇^;)


天皇陛下の御名代として、御勅使が御出でになられます。
黒い束帯姿の方が御勅使、宮内庁章典職の北島清仁氏です。


御一同、二の鳥居を潜った所にある祓戸神社(はらいどじんじゃ)にて『祓戸の儀』を行います。
ここでは権宮司のご奉仕で、御勅使辨代の方に身を清めて頂きます。
この後、着到殿(ちゃくとうでん)に進まれ、『着到之儀』が行われます。
終わりますと社頭に参進されます。
この時、勅使、辨代のいずれかが藤原氏の出身の場合は、再び戻って来られて、剣先道を通って藤鳥居(ふじのとりい)を潜り、慶賀門(けいがもん)より入られます。
しかし、今年は御二方とも異姓でしたので、南門よりの参進となりました。


招待者以外の見学者も、南門の額塚の手前辺りから、儀式を垣間見る事が出来ます。
これは神様に御供物を差し上げているところです。
黒い束帯が御勅使、赤い束帯が辨代で、第一殿への御奉仕です。
このように神職以外の方が神殿の御前まで神饌を運ぶ例は、極めて珍しいのだそうです。
御棚神饌(みたなしんせん)と呼ばれ、黒木を組み合わせて作られた、とても質素な棚に乗せられています。
二殿以下は神職の方々が運ばれます。
更に酒樽(しゅそん)などを運び、神饌と共に神様にお勧めするのだそうです。
この辺りは瑞垣の内です、全く見る事は出来ません。


次に机が用意され、内蔵寮官人代御幣物を御供えします。
これを宮司以下の神職が、神様の前に運びます。
二人の人が運び出そうとしている、脚の付いた櫃に御幣物が入っていました。
机などが片付けられると、御勅使が幣殿に入られます。
ここで御祭文を奏上されるのですが、門の外からは全く見えない場所になってしまいます。
読み終わった祭文は、宮司が神前に運びます。


左右の馬寮官人が南門から出て来ると、外で控えていた二頭の白馬が曳いて来られます。
御馬の牽廻』といって、神様に馬をお見せするために庭を三周廻ります。


これが終わりますと、『直会の儀』となり、林檎の庭では和舞が奉納されます。
直会殿の内でも、色々な儀式が行われているそうですが、これこそ全く見えません(ノД`)・゜・。

和舞の諸司舞が行われている途中で、南門前を開けて下さいと、見学者は退散させられてしまいます。
今年は御勅使、辨代共に南門からの御退出なので、階段の下まで下がって見学していました。
昨年は雨儀となってしまったようですが、今年は実に良い天気に恵まれました。
『釿始之儀(ちょうなはじめのぎ)
本来は林檎の庭が執行の場なのですが、雨儀なので幣殿(へいでん)にて行われました。
 
  
 
「上奉行、下奉行、承仕、木守、番匠、葺師、左官ノ各役、社頭へ出仕す」と式次第にあります様、関係する諸役が入場し、宮司以下の神職も御出でになりました。

かつてならば、奉行は興福寺方から出されたそうです。
番匠たちも専任の宮大工として組織されていたのですが、今は造替を請け負う工務店の棟梁以下の方々が、それぞれの役を担われています。

幣殿には料木(さめぎ)と呼ばれる白木の角材が4本並べられています。
春日大社には四柱の神様が座し、御本殿も四棟並んでいます。
そのために四本の科木で、それぞれに作法を行います。
第一殿の作法を行う方は『惣大工(そうだいく)』と呼ばれ、衣冠を着ておられます。

 

私が見ていた場所は、第二殿の科木の前でしたので、上の画像のように見えていました。
何をしておられるのかと言いますと、墨打ちの所作をしているのですが、手元が全く見えませんね、これではσ(^◇^;)



そして「四方を拝して
(ちょうな)を打つ事三度す」と、科木の両端と真ん中に打つ動作を行います。
各科木に、二人の匠が同じ所作を行います。



こちらは第四殿の科木での墨打ちです。
所作を行うだけなので、墨壷には済は入っていませんし、道具も装飾がされています。
四本の科木で墨を打ち釿を打った後、葺師(ふきし)が登場します。





このように、科木の上に檜皮を置く事で葺いた所作となります。



それを更にひもで縛る事で、葺師の仕事は完了。
これを第四殿まで行います。



最後に左官役の人が出て来て、御本殿に拝礼して仕事の完了となります。



この後は仕事の完了を報告し、宮司以下の神職一同も本殿に拝礼した後に退出をします。
これは、神職の退出を匠一同が見送っているところです。



番匠らが退出した後、神職さんが第一殿の科木に墨書で書付をします。
このようにして、一連の儀式は番匠座に扮した大工さんたちが中心となって、無事に執り行われました。
春日大社第六十次式年造替の『仮殿遷座祭』に伴う事始の儀式として、『木作始式(こづくりはじめしき)』が三月一日に行われました。
既に一月半が経っておりますσ(^◇^;)

鎌倉時代以来、春日番匠座(かすがばんじょうざ)と呼ばれる宮大工の人々によって執り行われた祭祀なのだそうです。
ところが文久二(1862)年以来途絶えていて、先の御造替の時に再興されたそうです。
祭祀を行うのは番匠座の人々で、神職は横で立ち会うのみ、神社側に記録が残っていないので苦労したという事です。



まずは朝から三笠山の麓、石荒(いしこう)神社御前で『荒神祓之儀(こうじんばらいのぎ)』が行われました。
実を言うとこの日は、早朝から丸一日雨天……まったく止む気配なし・゚・(ノД`;)・゚・
雨儀でしたので、見学する側もレインコート(傘は御遠慮下さい状況)は着ていてもずぶ濡れ……まともな写真は撮っておりません(;_;)

傘を差して関係者一同が神社の前に御出でになり、陰陽師代の神職が祓いを行い、祝詞を読み上げ、再び傘を差して退出するという流れです。



石荒神社は、この岩座です。

 
そして感謝共生の館にて、権宮司さんのお話、その後場所を変えて昼食(直会)です。
 


この極めてシンプルな食事は『ほうそう献』というそうです。
メインディッシュはなんと……焼き豆腐に蒟蒻です(゜_゜)
ご飯は御赤飯ですが、中世の人たちは何とも粗食だったようです。

この後は回廊内、御本社東の庭で『釿始之儀(ちょうなはじめのぎ)』となるのですが……続くm(_ _)m

 前日からの強風が思いだしたように吹いてくれるので、この日のお旅所では篝の焚けない状況でした。もう、寒いの何のって((((;゚Д゚))))
 田楽の始まる頃には日も完全に沈んで、奈良の夜の底冷えが始まります。


 細男(せいのお)は、他では見る事のできない不思議な舞です。装束も舞も楽も、極めてシンプルです。


 これらの芸能の内、一番新しいと思われるのは神楽式でしょうか。平たく言いますと略式の翁舞です。翁は面を着けず、千歳も省略されています。装束は三番叟も共に浄衣です。

 神楽式が終わると舞楽が始まります。ここから先は、まともな写真がほぼありませんσ(^◇^;)
 曲目としては、『振鉾(えんぶ)三節』『萬歳楽(まんざいらく)』『延喜楽(えんぎらく)』『賀殿(かてん)』『地久(ちきゅう)』ここまでが平舞です。

 この幽霊みたいな写真、何……(。´・ω・)?
 実は地久の途中で一臈の鳥兜が落ちてしまいまして、途中で付け直しているところです。ごくたまにこういう事もあります。 
 ところで賀殿の二臈の人が、すごくうまいなぁと眺めていたら、今回の日使の陪従(べいじゅう)の笛方務めていた方でした。
 昨年あたりから、舞楽の舞人が全般、若い人になったそうです。という事は、この先、どんどん上達して見ごたえが出てくるはず、楽しみです(^^♪

 
 平舞が一連終わりますと、和舞(やまとまい)が始まります。神主舞(二人舞)一曲と諸司舞(四人舞)が二曲。諸司舞の一曲目が終わると、舞台の上で片袖を脱ぐのが印象的です。

 そして走舞(わしりまい)が始まります。
 競馬の勝敗は赤(左方)の勝ちとなったので、先行は『蘭陵王』、続いて『納曽利(なそり)』『散手(さんじゅ)』『貴徳(きとく)』『抜頭(ばとう)』『落蹲(らくそん)』となりますが、私は貴徳の終わったところで退散しました……この頃、また風が出てきて、寒いなんてもんじゃない"(-""-)"
 この画像は『貴徳』です。出手(ずるて)を舞った後に矛を置いて徒手で舞うのですが、この部分がすごくリズムが取りにくくて、本当に難しいんだなぁと思えます。それにしても、今回の貴徳公は滅茶苦茶にキレが良くて男前だった~(^^)/
 御祭には神様がいなければなりません。おん祭の主神は春日若宮様、天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)です。若宮様は17日の0時頃に御社より出御し、お旅所のお仮屋(行宮)に入られます。これが 遷幸の儀です。
 そして昼間には、夜に行われる神遊(かみあそび)に奉仕する芸能者たちが、威儀を正してお旅所へと詣でます。この風流(ふりゅう)行列が御渡り式です。
 芸能者たちがやって来ると、神職の方々が若宮様に祭りが始まりますという挨拶をします。こうして、お旅所祭が始まります。お供え物を奉り、宮司が祝詞をあげ、勅使代行の日使(ひのつかい)が御幣を奉り、参列者代表が玉串を捧げた後、神遊(芸能)が始まります。

 まずは春日御巫による社伝神楽。今年は例年と少し違う曲目だったようで、これについては項目を改めまして書きたいと思います。
 この方々は、社伝神楽の地方を務められる神職さんです。

 四人の子供たちによる東遊(あずまあそび)。こちらは『駿河舞』です。舞い終わった後は、一度退出します。
 そして片袖をおろし、『求子舞(もとめごまい)』が奉納されます。

この辺りまでは、何とか日があるので写真も写るのですが、次の田楽あたりから暗くなって、かなり情けない事になります……( ;∀;)
それじゃ、次は情けない写真の集成で……続m(__)mく
 日本列島に寒波が来ていても、春日若宮おん祭は12月17日にクライマックスを迎えます。 そのような訳で、強風も吹く中、御渡り式が敢行されました。
 今年の日使(ひのつかい)は、株式会社神戸製鋼所代表取締役会長、佐藤廣士氏です。何故なのか、目線まで頂いてしまいましたm(__)m

 今年は先行行列に、映画監督の河瀨直美さんが花を添えてくれました。

 寒いうえに風が強いのです。辰市神子(たついちのみこ)さんも被衣が飛ばされそうで苦戦しておられました。それにしても南大門の僧兵たちは素足、更に寒そうです。

 一の鳥居を潜ったところにある影向の松の下で、松之下式が行われます。

同じ頃、お旅所前の参道上では、競馬が行われています。赤と青(緑)の装束をつけた騎手が三度、馬を競わせて勝敗を決めます。これはお旅所祭での舞楽(走舞)の順番を決めるための勝負です。今年は赤が二勝しましたので、左方の勝ちとなり、蘭陵王が先に奉納されます。
 この競馬のスタート地点には、馬出橋(まだしばし)という名前の小さな石の橋が架けられています。
 
 さて、お旅所入り口では何をしているのか……実は金春太夫の埒明けの儀式なのですが、猿楽座の方々が並んでしまって全く見えませんσ(^◇^;)
これを見せて頂くには、横手に陣取らないとダメなんですね。

  参道で行われていた流鏑馬の稚児も入って来ました。この頃には既に、お旅所祭の神事が行われています。
4月5日の水谷神社の鎮花祭、午後からは禰宜座狂言が行われます。
狂言師の大蔵彌太郎師の御指導で、春日大社の神職さんや一般の方々が本格的に狂言を演じられます。

上の画像は『以呂波(いろは)』、お祖父さんが孫にイロハを口伝えで教えていて、ちょっとしたハプニングが起きるお話。

こちらは『痿痢(しびり)
主人が太郎冠者に用事を頼むのですが、面倒臭いと思った太郎冠者は足に痺れがあるから無理だと張ったりを言い、最後にはそれがばれてしまうという、お約束的なお話。
太郎冠者も主人も、小学生くらいの子供さんが演じています。

更には『皸(あかがり)』、アカギレの事です。
川を渡るに当たって、主人が太郎冠者に負ぶれと命じるのですが、アカギレなので無理と断ります。
すると主人は自分が太郎冠者を負ぶってやると言い出して……(゜_゜>)
こちらは春日大社の神職さんが演じています。

『鳴子遣子(なるこやるこ)
田んぼに渡された鳥避けの鳴り物を鳴子と呼ぶか、遣子と呼ぶかで喧嘩を始めた二人が知人に判定を頼んだ挙句……という内容のお話ですね。
こちらも神職さんたちの熱演です。

何故なのか画像が無いのですが『千鳥』は若い女性が演じていました。
つけの貯まった酒屋から、如何にして酒を無心するか、太郎冠者の奮闘のお話です。

『花鎮(はなしずめ)
花見に興じる8人の神職さんの見事な共演、皆さん実に芸達者です。

このほかに、プロの狂言師の方の仕舞もありまして、なかなか本格的な舞台でした。
鎮花祭は毎年、4月5日と同じ日に行われます。
来年は日曜日、今年のように天気が良ければ、また見に行きたいものです。
水谷神社春日大社の摂社です。
御本殿から見て北北西の方向、若草山の山麓に抜ける道の途中にあって、普段はあまり目立たない御社です。
昔より病気平癒に霊験あらたかとされ、瑞垣の上から突き出たイブキの巨木や、布で拭き清めると子宝に恵まれる石がある事などでも知られています。
御祭神は素戔嗚命大巳貴命奇稲田姫命の三柱です。

普段は観光客も通り過ぎてしまう御社ですが、毎年4月5日は『鎮花祭』で多くの人が参拝します。

なにぶん小さな御社なので、神事は宮司を祭主にやや地味に行われます。
しかし、この場所で奉納される社伝神楽が、御本殿などとはまた違った雰囲気で、大変人気があるようです。

 私としてもこのお祭りには、十年以上前に一度来たきりなので詳細がわかりませんが、この日に奉納されたのは、『神のます』『宮人』『千歳』の三曲です。
この内、最初の『神のます』は二人舞、『宮人』と『千歳』は四人舞です。

画像は、一番上が入場して来たところで、続く三昧は曲の順になっています。

花の咲く頃には疫神もやって来るといわれ、春の最初に花を鎮める御祭が各地の神社で行われます。
こちらの鎮花祭も正応元(1288)年より行われているそうです。
  大和の三大奇祭の最初は、飛鳥坐神社(あすかにますじんじゃ)の『おんだ祭』です。
毎年、2月の第一日曜日に行われますので、今年は2日でした。
早朝は雨でしたが午前中にも早い内にあがり、昼前からは日が差して来て、御祭の時間にはすっかり晴れて暑いくらいの気候です。

神社での御祭は14時からですが、出かけたのは13時過ぎくらいで、駐車場があれば少し眺めて行こうかくらいの気分で行って参りました。
境内は案外狭いので、この時間では勿論入れません。
13時50分に祭の行列が控え所から出て来るという事で、その付近で見させて頂く事と致しました。
この通りも結構狭いので、行列も見学者も少々入り乱れて神社へと向かいます。

神社の階段も狭く、かなりの急勾配です。
それ以上に人の多さで、登るのも至難という感じですねσ(^◇^;)
境内は既にギッシリと人で埋め尽くされているはずですから、諸役の入場もそれなりに大変です(^_^;)
ここから約一時間、境内での神事、そしてかの有名な芸能(?)が行われます。
この模様は三年前の記事を参考にm(__)m

一時間ばかりして戻って来ますと、既に竹の杖を持ったがウロウロとしていました。
この杖で見学者を容赦なく引っ叩くのもこの御祭の特徴で、大声を上げて追いかけられている子供達を眺めて笑っていると、別の方向から叩かれるなどという事もあったりします。

もう少し待っていたところ、境内での行事がつつがなく終わったようで、参加者や見学者が次々と石段を降りて来ました。
そして、サービス新旺盛なも登場。

 天狗や翁たちの持っている竹の杖で叩いてもらうと厄払いになるそうで、積極的に打って下さいと申し出る人もいます。

今年のお多福さんも体格の良い人で、かなり本気で女性も打ち据えておられました。
ちなみに申し上げますと、お多福さん以下全員、若い男性が演じています。
じゃなけりゃ、あの有名な奇祭に笑ってはいられませんからねσ(^◇^;)
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