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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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中之島の中央公会堂です。OSAKA光のルネッサンスにてホーンテッド・ハウスではありません。
大阪中之島の中央公会堂です。
明日まで行われている『OSAKA光のルネッサンス』のライトアップの一つです。
ここでも何度か紹介している『3Dプロジェクション・マッピング』という手法で、建物をスクリーンとして映像を照射しています。
綺麗なのですが、チョッとまだ明るい時間でしたから、鮮やか感が中途半端(゜_゜)

22日の難波京の現説の後に、どうせだから少しだけ覗いてみるかと行って見たのですが、人の多さに辟易として、淀屋橋の周辺だけでリタイアして来ました。
何せ、こんなところを一人で歩いているのが、矢鱈に場違いな気がしたし、図書館のマッピングの方は90分待ちなんて出てる……そこまで根性ないしなぁ、イルミネーションに対して。
もしも来年に行く事があったら、平日に出かけようかなぁ……付き合ってくれる御仁はおらんようにも思えるが(^_^;)

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平安神宮の参道にて本日は京都の“みやこめっせ”にて行われている『石ふしぎ大発見展』に行って来ました。
そして、またも散在して来ましたσ(^◇^;)
その辺の光物は、気が向いたら、どこかに上げましょうっと。

ところで今日は、『京都学生祭典』の日に当たっていたようで、東山三条に着いたところ、地下鉄の駅にはポスターが連々と貼られ、パフォーマンス装束を身に着けた若い人たちが歩いていました。
そして平安神宮の参道では、祭典の開始宣言の真っ只中。
多分、この後、学生たちのパフォーマンスが続いたと思われます……が、私はみやこめっせの一階の会場でうろついておりました。

何故かうす赤い京都タワーこの学生祭典って、以前は二日間だったような気がするのですが、ポスターを眺めた限り、今日だけみたいですね。
『石ふしぎ大発見展』の京都ショーと日にちが重なる事が多いので、やっている事は知っているのですが、どういう内容なのか殆ど知りません。
まあ、学生の方々のお祭なので、若い人たちの交流の場として楽しめれば良いのかな。
観光客が見ているというよりも、学生さんや家族の方々が見物しているという感じでした。

そして会場を出た18時前には、何処も撤収に入っていて、平安神宮の前辺りで照明をデザインして、チョッとしたカフェをやっていたので、そこで少しだけ休憩して帰って来ました。

それにしても京都行きのバスに乗ったのですが、渋滞が凄くて……地下鉄で帰るべきだったかなぁ(゜_゜)
駅に着いたら、京都タワーが奇妙な色でライトアップされていて、近鉄入り口の前辺りで、何人もの人が写真を撮っていたので、私もそれに倣って来た次第です。
何色かバージョンがあるのかな?
京都には、あまり行かないから良く分かりません(・_・;)

延暦武官行進列しつこく時代祭が続いてますが、これで終わりのはず……(^_^;)

この画像は『延暦武官行進列』、先頭の主将は東北遠征を終えて帰京する坂上田村麻呂だそうです。
この行列の鎧姿を見ておりますと、騎馬の将軍たちは大鎧の初期ヴァージョンとでも言うような扮装ですが、歩兵たちは衝角付甲や目庇付甲を被っていたりしまして、博物館で見る古墳時代の鎧姿という感じで、奇妙な時代差を感じますσ(^◇^;)
まぁ、平安初期の鎧に関する具体的な史料が殆ど無いので仕方がない事なのでしょう。

騎乗の禰宜と孝明天皇の輿桓武天皇の御鳳輦

更に『延暦文官参朝列』、『神饌講社列』と続き、ようやく『神幸列』となります。
実は祭の主役はこの列、二つの鳳輦です。
前の輿には孝明天皇、後の輿には桓武天皇の御神霊が乗っておられるのだそうです(゜.゜)
輿のスタイルはどう見ても、孝明天皇の時代の物ですね(~_~)

『白川女』と『弓箭組』平安神宮に入る神輿列

行列の最後尾を飾るのは『白川女献花列』、そして『弓箭組列』です。
この方々が神宮の門を入られますと一般の人へのお祭は終了、門は閉じられて参加者が大極殿ならぬ本殿に祭文を奏上して、無事に祭典は終了するそうです。
この様子を熱心に扉の隙間や連子の間から見ている人達もおられましたが、私はすぐ近くで行われていた手作り市をのぞいておりました(^_^)(^^ゞ
 
楠公上洛列 楠木正成
しつこく昨日の続き、というよりも再び行列が戻りまして南北朝時代。

この時代も京都は何となく圏外という感じですが、「主上、御謀反」と隠岐に流された後醍醐天皇が、鎌倉幕府を妥当した人々によって、都に戻ってきた時の様子を示しているようです。
兵庫津に出迎えた中心人物は、この楠木正成とその郎党という訳で『楠公上洛列』です。
しかし、この時代の鎧って鎌倉時代の大鎧と比べると、何となくバランスが微妙ですね……

中世婦人列 淀君淀君の侍女と藤原為家の室

続くのは『中世婦人列』です。
最初は、頭の上に柴を乗せて売り歩いた『大原女』と桶を抱えて川魚などを売った『桂女』の列が行き、その後ろから、『淀君』、『藤原為家の室』、『静御前』と続くのですが……真ん中の人、誰??

何せ京都の祭なので、京都で活躍した人物でないと選ばれない訳でして、鎌倉時代の女性として教科書に載るほど有名でも、北条政子などでは関東から出ておりませんので、選考外になるようです。

藤原公卿参朝列それにしても、鎌倉時代と平安時代(藤原時代)は何となく地味でして、特に誰という指定もない方々が、御供の人達を大勢引き連れて馬で黙々と通り過ぎて行きます。

しかし私の陣取っていた所は交差点のすぐ手前でしたので、しょっちゅう行列が止まって自動車を通しては、「一気に通りますので小走りに渡って下さい」と、平安神宮の神職さんや警察官に指示されて、わらわらと神宮の鳥居に向かって行く後姿を見送っておりました。
おかげで、以前に行った時よりも退屈しないで見る事ができました。

そしてこの後が、昨日上げた『平安時代婦人列』となり、ようやく延暦朝の人々と神職の列を先立ちに、この行列の主役たる二基の鳳輦がやってくる事となります。
豊公参朝列の牛車と牛童鞨鼓童 室町洛中風俗列

二日あきましたが何となく続きでも……

江戸時代の次は安土桃山時代(豊公参朝列、織田公上洛列)、室町時代(幕府執政列)となりますが、これはイマイチ色気のない武士集団のオンパレード、何やら配役に難あり(?)な写真は何枚か撮りましたが、それ以外で子供たちの扮装がかわいらしいものでも。
一緒に歩いている若い女性は、お母さんでしょうか。

騎乗の巴御前です。この後に南北朝(楠公上洛列)、鎌倉時代(城南流鏑馬列)と続くのですが、どちらも京都から幕府が離れているせいで、これという主役がいないような列の編成になっています。
この間に『中世婦人列』が続くのですが、この画像をあげるのを忘れていますね……
ここからの画像はむしろ、『平安時代婦人列』です。
その先頭を白馬で行くのが、この巴御前ですが、同時代人のはずの静御前は、鎌倉幕府以降に活躍(?)したと見なされるためか、中世に入っていました。

それにしても以前に『時代祭』を見に行った時も、ついつい、『四天王寺ワッソ』のイメージで出かけてしまったため、いざ拝見しておりますと、維新や江戸時代には鳴り物も掛け声もあるのに、時代がさかのぼるにしたがってそれらしい音声も無くなり、ただ装束をまとった人達が粛々と歩いているだけ……えらく辛気臭い祭だわ~と思ってしまったものです。

王朝時代の才女二人 清少納言と紫式部平安初期の後宮の実力者の一人 百済王明信

その辺の改善という訳でもないのでしょうが、この度は録音とはいえ雅楽なんぞを流して、もう少し雰囲気作りには勤めてくれていたようです。
それとも以前は、丸太町通のように交通量も人出も多くて、幅も広い道沿いで見ていたから、音声に気がつかなかっただけなのでしょうかね?
でも、近くにいた地元の若い女性も、考えようによっては地味な御祭ですよと言っていましたが。

名前つきのヒロインとして最後を飾るのが『百済王明信』なのですが、この人の前に確か、やはり唐風装束の『小野小町』と『和気広虫』が歩いていたはずです。
ところが以前も今回も、『小野小町』の画像が何所にもない……何で(・・?
まぁ、良いか、そういう訳で、続きはまた明日以降にでもm(__)m
 
維新勤王隊列 錦旗京都の三大祭はいずれも日にちが決まっているため、休日に当たる事は滅多にありませんが、今年は『葵祭』と『時代祭』が週末に当たっていたため、かなり人出が予想されたようです。
しかし、
『時代祭』の日は四天王寺の『経供養』と同日のため、休みに当たっていても滅多に出かける事は無いのですが、昨日(十月二十二日)の天気予報は雨、装束を濡らしてしまう訳にも行かずと、翌日に延期となりました。

そのような訳で昼前、突然に出かけようと思い立って行き着く先は三条東山……地下鉄の駅から出たとたんに沿道で待つ人の群れに遭遇致しました。


維新志士列 近衛忠熈徳川城使上洛列 城使

取りあえず時間の余裕もあったので、何所が良いかと『平安神宮』に向かってみますと、鳥居付近はかなりの人出でしたが、近代美術館の手前の交差点付近が割合に空いておりましたので、そこに陣取る事と致しました。
行列が『平安神宮』に到着するのは14時半との事ですが、時間はまだ14時より少し前というところ、周囲の人たちに倣って歩道の縁石に腰掛けて買い求めたガイドブックを眺めつつ待っていますと、10分そこらで警察の方が、「行列が到着しますので歩道に上がって下さい」と注意にやって来ました。

江戸時代婦人列 和宮江戸時代婦人列 吉野太夫 出雲阿国

この祭の時代行列には、京都を都に定めた桓武天皇から、都を京都から移した孝明天皇までの人々が明治維新からさかのぼって登場します。
まずは明治維新から江戸時代までの行列などの画像でもあげて見ました。

ガイドブックを見ていて気がついたのですが、この行列に登場するのは公家、武家、町衆、庶民という人々で、皇族はいないのかと思っていたのですが、唯一の例外は『江戸時代婦人列』に登場する『和宮』様のようです。
勿論、最後の列に孝明天皇と桓武天皇の鳳輦は登場しますが、登場人物としては配役されていません。
この後には安土桃山時代、室町時代と更に古い時代に向かって更に行列は続きます が、既に眠い(*_*)……続きはまた明日以降にでも。
台風12号はそろそろ岡山に上陸したんでしょうか?
こちらはひたすら雨です。
日中は雨はそれ程ひどくもなく、風が多少強いというところでしたが、夜になってからは風は止んだものの雨はずっと降り続いています。
そのような訳で本日は遠出はせずに、近所の博物館でフラフラしておりました。

頼朝公旗挙げ行列 出陣式ともあれ、台風とも博物館とも関係なく、先月に静岡に帰った時の事でも。

三嶋大社の夏祭は三日間ですが、8月16日が本宮、伊豆箱根鉄道の三島広小路駅から大社町の辺りまで、これでもかと言うほどの人出となります。
それもそのはず、祭の一番の呼び物であろうと思われる『頼朝公旗挙げ行列』が行われるためです。
頼朝公とはもちろん源頼朝ですが、昔々はこの役を市長などのお偉いさんがやっていたそうです。
その頃は特に混雑はしていなかったそうですが、三十年位前から芸能人を呼んで、花を添えて頂くようになってから、とても人出が多くなったのだそうです。
天邪鬼うめぞーは、混むのはいらないと17日の流鏑馬は見に行っても、この行列を見たのは一度しかありませんでした。

出陣式 鳴弦の儀それこそ何年ぶりの大社の夏祭だ?という訳で、どうせ御神楽も見に来たのだから、もう少し粘ってこいつの出陣式でも見て帰ろうかなどと色気(?)を出して、神楽殿の前に集まりつつある人の群れの中で待っておりました。

今年の頼朝公は風間トオルさんだそうで、まあ、悪くない年に当たったかな?
一昨年だったかその前の年だったかはⅠ田J一さん(あえて意味のない伏字)だったそうで、こんな年に当たっても嬉しくないかもσ(^◇^;)
ちなみに昨年は半田健人さんだったそうですが、年齢的に頼朝というよりも義経の方が似合いそうですね。

頼朝公役の俳優はともかく、この行列に役付きで参加してくれるのは、殆どが地元の高校生や中学生です。
この画像で鳴弦を行っている仁田四郎忠常も高校生ですし、軍監の安達盛長の役は女子高校生でした(^_^)v
……にしても、頼朝役が四十代の俳優で、北条時政やら土肥実平が高校生や中学生ですか。
まぁ、殆どの人はその辺、気にしていないと思いますが(^^ゞ

今年の頼朝公です。かくして全員でときの声を上げた後、一同は本殿前を退出して、しばしの準備を経て沿道で待ち構える人たちの前に出陣する運びとなります。
これこそ凄い人出でしょうから、過ぎ去るのを待って帰りましょうと、境内にある茶屋でカキ氷なんぞを食べていたのが計算違い……
出店などを眺めつつも、そろそろと鳥居に向かいますと、前方は何故か黒山の人だかり?
これじゃ、境内から出れないじゃないの……それもそのはず、これより頼朝公の行列が鳥居前を通過すると、アナウンスが言っているではありませんか(・_・;)
休憩なんぞしておらんで、さっさと帰るべきでした。

そのような訳で、私も人込みの後ろの方から、俗物ぶり丸出しで頼朝公の写真など撮りつつ、内心ではさっさと進んでよ……などと毒づいておりました(゜_゜)
行列の最終地点は三島駅楽寿園だと聞いているので、こりゃ、広小路の方向は人だかりで進めないわ……
そんなこんなで、別の駅(三島田町駅)に回って何とか帰って来ました。
この日の夜には手筒花火の奉納もあるので、夕方から繰り出す人も結構いるようでした。

それにしても三嶋大社に行く事自体が数年ぶり、最近では橿原神宮や春日大社の広さに慣れ切ってしまっているせいか、伊豆一ノ宮すらが狭く感じてしまうのが何となく悲しいかな……
子供の頃には、こんなに大きなお宮さんは滅多にないと思っていたものですが。

葵祭のヒロインですね。自慢にも何にもなりませんが、昨日に初めて『葵祭』に行きました。
見所が全く分からないので、葉つきみかん様に引っ付いて、上賀茂神社の芝生席に陣取って、かなり気軽にゆっくりと見ておりました。

そういう訳で、この方が今年の斎王代です。
一の鳥居の前で牛車からは降りてしまうそうで、この様に童女のかしずかれて歩いて御出でになります。
牛車はと言うと、鳥居の外をトレーラーに曳かれたキャリーに乗って運ばれてゆくのが見えましたσ(^◇^;)
来年は沿道で見る事と致しましょう、天気が良ければ。
左方走舞『蘭陵王』
今年の京都御所の春の一般公開は四月七日から11日まででした。
私が行ったのは、十日の土曜日、天気が良くて暑いくらいの日でした。
初日のニュースでは、『左近の桜』が満開の見頃と言っていましたが、週末の暖かさのお陰で、土曜日には既に散り始めていました。
他の桜も、満開の見頃のものもあれば、既にあらかたが終わってしまった木も見られまして、やはり初日辺りが狙い目だったのかも知れません(^^)


右方走舞『納曽利』
十一時くらいに御所に着きましたところ、どこからか太鼓の音が聞こえてきます。
更に奥に行きますと、特設舞台にて『平安雅楽会』による舞楽の御奉仕が行われていました。

『平安雅楽会』は新京極にある『錦天満宮』に所属する楽所らしいのですが、あまり詳しい事は知りません。
京都での雅楽演奏では、かなり活躍されているようです。

上の画像は左方の走舞『蘭陵王』
そしてこちらの画像は右方の『納曽利』
この二曲で番舞(つがいまい)になっています。

和舞-やまとまい-今年の公開では舞をテーマにしているようで、更に次のような舞装束も展示されていました。

『和舞』と書いて『やまとまい』と読みます。
春日若宮おん祭のお旅所祭では、必ず行われる舞です。
詳しい事は、こちらの記事及びリンクを参照して下さい。



『五節舞』の姫君
こちらは『五節舞』
大嘗祭や新嘗祭の時に、五人ないし四人の女性によって行われる舞だそうで、これこそ宮内庁の楽所の独断場でしょうか、私は一度も見た事がありません(-_-;)







『久米舞』の武官
こちらは『久米舞』
日本書紀の神武東征紀に由来する武官舞です。
橿原神宮では毎年、四月二十九日の『奉賛祭』、そして十一月二十三日の『新嘗祭』で行われています。

ところで私はどういう訳か、御所の一般公開には春しか行った事がありません。
秋に行こうとすると、予定の日に急な別の用事が入ったり、別の場所に行ってしまったりと、未だにこちらには縁がありません。
そういう訳で、今年は秋にも行ってみようと、今から計画をしておりますが、さて、どうなります事か……(・_・;)

古き都の方角を見るところで先日、このいい加減なパノラマ合成した写真を上げまして、この真ん中から右の方に横たわっている山塊は何なんだとぼやきましたが、方向といい大きさといい、こりゃどう見ても『鹿背山』ですわ……?(゚_。)?(。_゚)?
こいつが恭仁京を左京と右京に別けていた山です。
どうしてこんな山を挟んで、都を造らにゃならなかったんだろうなぁ……
その手前には泉川(木津川)が大きく蛇行して流れています。
この風景は『海住山寺』から見ていますが、このお寺の事は、また明日にでも。
おまえは誰か
HN:
うめぞー
性別:
非公開
自己紹介:
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