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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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またもや診断メーカーとやらで遊んでおりました。
先日と同じヤツ……

 うめぞーの精霊は中年男の姿、冷静沈着な性格で本来の姿は獅子です。雪を操り、戦いでは正々堂々がモットーです。貴方の事を守ると誓っています。 http://shindanmaker.com/276238

誰でしょう、うちで言うと……藤原縄麻呂辺りかなぁ?
いや、間違っても、あの家の連中に“正々堂々”を求めるのは酷というもの……(ーー;)
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本薬師寺のホテイアオイと彼岸花以前から他愛のない話を書きたいと、彼処でぼやいてみましたが、歴史物に関して言えば未だにそう言える話を書いた記憶はありません。
ただ今考え中のプランは、200枚程度(400字詰め換算で)の短さで、軽いノリの話を書こうかという事です。
いつものように野郎の一人称語りで、今回は何とな~く、藤原種継かな~、と思っています。
でもこの御仁、表面的には軽いけど、実は決して軽薄ではない、むしろ大胆に割り切るような人かもしれません。

そこで軽くなってもらおうとしているキャラクターは、うちで一番のいじられ役、山部王だったりします……既に難題の兆しが(・.・;)
この御仁に河内行幸の時、かなり目立つ事をやってもらおうと考えているのですが、さて、この時代、やはりこういう事は上級公家や皇族のたしなみの一つだったんだろうかと、ここでまた疑問が湧いて来ました。

これに対して父親の白壁王は、自分も若い頃には皇族官人としてやった事があるし、高野女帝ですら皇太子時代に人前に立ったのだから、決して珍しい事ではないなどと言っております……私が言わせているだけですがσ(^◇^;)

それにしても、幼少時は南山背の田舎で文武両道とか言いながら、史部というよりも武官の方が遥かに通りの良い、母方の祖父や叔父に囲まれて育った(という設定の)山部王が、いったいいつ、こんな事を教わったというか練習したんでしょう。
やっぱり、任官して内舎人になってからかなぁ……大学で教えてもらう訳ない類だし(゜_゜>)




時に、この何日かの降って湧いたような話題に、平城宮跡の第一次大極殿院の朝堂院地区(しかるに朝庭か)をコンクリート舗装するとか何とか、またも勝手に県や国が説明どころか討議もなしに決めたとか。
思わず、「今は昭和四十年代か?!」 と叫びたくなりましたわ。
常識のある人ならば反対するのは当たり前。
平坦に見えて、実は起伏のある土地、殊に大極殿院は舌状台地の上に乗っているので、ここをコンクリート何ぞで塞いでしまえば、地下水がほぼ途絶える可能性が出て来るでしょう。
これを防ぐために、バイパスのルートも変えて欲しいと言っているのに、それを別方面から済し崩しにしたいって、決定の責任者は後々まで恥を晒したいのだろうか……言われても仕方ない気がする。
それとも、そこでヤンキー(既に死後か?)に打ち上げ花火でもして、遊んでくれと場所提供したいの?
バイクでも乗り入れて、夜中まで騒いでくれとでも??
そうなる事は目に見えているでしょうに……
角も切られてダレた牡鹿この何日か、奈良時代後期の佐伯氏紀氏大伴氏らの主な人のプロフィールをさらっております。
このような氏族の面子が並びますと、宝亀十一年を待たずとも、イザ多賀城……思考が勝手に東北経営の方向に泳ぎだして困りますσ(^◇^;)
この前は大伴駿河麻呂大伴益立、今日も紀広純やら紀古佐美なんて眺めてたから最悪です……

それにしても私は、この辺りから延暦朝にかけての胆沢城建設までの動きにしても、平安後期に入る前九年の役後三年の役にしても、陸奥や出羽の側から情勢を見る感覚が少々欠如しているようで、殊に前者の時代においては皆無に近いかも……

その原因の幾ばくかは、とても申し訳ないけれど、その類を扱った小説がイマイチ面白くなかった事に起因しているのではないかと思えています。
某直木賞作家の方が書かれた“伊治呰麻呂の乱”を扱った小説を以前に職場の方から借りて読んだのですが……(T△T)
タイプの違う策士が三人(この人たちも俘囚)、それぞれが件の俘囚の長を見ているのですが、どの人の視線から見ても肝心の呰麻呂が全く魅力的に思えない……(/_;)
これじゃ、この後にアテルイだの坂上田村麻呂だの出て来ても、陸奥の人たちに感情移入が出来そうにない……・゚・(ノД`;)・゚・

少しばかり前にNHKが、その辺の小説(先の作品とは別の作家の作品ですが)の映像化を発表した云々と聞きましたが、どうも見る前から、全然期待感が沸きませんわ。
わらび座の舞台の方ならば、チョッと見てみたいという願望はあったのですけれどね。
多分、NHKのドラマと同じ原作です。

とか何とかボヤキながらも、私自身はこの辺りを官軍の側から見た話を書きたいという願望はありませんで、多分書くとしたら、都の首脳陣の全く別の思惑を絡めて書くのではないかと、今から嫌~な予感がしております。
誰が何を企むんだろうなぁ……藤原氏でも良いけれど、皇族や紀氏にもチョッとした大物がいるし(゜_゜)
まあ、今考えるべき事じゃないですけれどε-( ̄ヘ ̄)┌


そういう訳で、次のプランは和気王の変よりも後、女帝崩御よりも前くらいの間で納めたいのですが、何か面白いネタが見つからないなぁ( ̄Д)=3
何となく次の狂言回しは、藤原種継で行こうかと思っているんですけどねぇ( ̄▽ ̄)。o0○
俺はナタ本日、朝から東大寺に出かけて『大的式』という奉納行事を拝見して来ました。
この事は後ほど、記事を改めましてm(__)m

昼くらいには終わると思った私が甘かった……常より、この類が一時間程度で終わるはずもなし、しっかり二時間弱かかっていまして、昼過ぎに奈良を出ようと思ったのが、結局は13時半頃となり、ほうほうの体で橿原に戻る事となりましたσ(^◇^;)

実は13時から橿考研の博物館の土曜講座で友人が発表すると聞いていましたので、とにかくそれに間に合うようにと滑り込んだところ、ちょうど報告が始まるところでした(~_~;)

そしてその後、ホームセンターに行ってナタの新しいトイレ(シマコのよりも大きい!)を買って来ました。

今日は奈良市内、『バサラ祭り』も『平城京天平祭』もやってるってのにねぇ(゜_゜)
明日も午後から春日大社なので、気が向いたら平城宮跡には行ってみようかしら……などと思っていると、その日に限って夕立とか( ̄■ ̄;)!?
ここ最近の状況からしても、十二分にありえます||(-_-;)||||||
何せ、昨年は三日の内、二日はほぼ終日雨という状況でしたからねぇ。

さて、次の話、神護景雲年間の辺りを書きたいなぁと、漠然とした希望を立てております。
大納言にまで昇進した白壁王の悪党ぶりと、女帝の元で侍従としてこき使われている山部王の悪戦苦闘(?)になると思うのですが、果たして誰の目線で書こうかなぁ……(?(。_。).。o0O??
藤原雄田麻呂か、種継か、一層の事、永手とか?
この頃、開成王は既に東大寺を出て、唐律招提にいるはず。
とにかく、もう一度『続日本紀』あたりと格闘して、時代背景を頭に叩き込みませんといけませんわ(゜_゜>)

難波といえば四天王寺ストーリーを練り直したり、書き直したりするたびに、何故か主人公は悪党になって行くような気がしております……

無理して悪人にしなくても、勝手になって行く御仁と、無理をして書かないとただのお馬鹿になってしまう御仁がおりまして、前者の代表が白壁王、後者の代表が志貴親王なんじゃないかと、作者は密かに思っていたりしますσ(^◇^;)
まぁ、お馬鹿度は山部王あたりも負けてはいないでしょうが……

これは隔世遺伝なんだろうか、などと思ってみましたが、白壁王の孫の五百枝王は、曽祖父や叔父にも度し難いところがあるような……
お馬鹿と悪党は紙一重?(゚_。)?(。_゚)?

今回も、もう一息で完成かな???
本日の画像は、四天王寺の五重塔ライトアップ。
白壁王は若い頃、内舎人を経て摂津職に配属されていたというのが、うちでの設定。
更には干されている間も時々、難波堀江を望む別業で過ごしておりました。
2919704e.jpegただ今のところ、白壁王は解せないような噂を聞いて、もう少し詳しい状況を知ろうと、周囲の情報通にコンタクトを取ろうと考えております。
情報通というと異母兄の湯原王か南家の兄弟かというところなのですが、一番聞きやすいのは間違いなく、内舎人時代からコンビ(?)を組んでいる藤原仲麻呂という事になります。
何せこの御仁、悪友相手だと矢鱈に口が軽くなる?
とは申せ、常々下心というか計算はあるのでしょうが。

決して暇をかこっている訳ではない参議民部卿、どういう訳か、白壁王が第宅を訪ねていると暇そうにしている事が多い……実に意味のない設定ですε-( ̄ヘ ̄)┌

そしてこの度も訪ねて行くと……ここでキーボードを打つ手が止まってしまいました。
さて、仲麻呂は何をしていたから、白壁王には暇そうに見えた?(゚_。)?(。_゚)?

最初にふと思いついたのが、若い侍女に爪の手入れをさせていた……この御仁のキャラクターからして、全くもって面白くも何ともないシーンですわね。
次に思いついたのが、子沢山な男なので子供の相手に何故か熱くなっていた……ところが、ここには単身赴任だと作者が気づいてしまいました。
更に思いついたのが極めて平凡に、家司相手にヘボ将棋ならぬ碁を打っていた……多分、負けていたんだろううなぁ(゜.゜)

どうも、どれもこれも発想が貧困でいけません……
池にはまった飼い犬を洗っていたとか、庭で草むしりをしていて見つけた蛇を振り回していたとか、厩から逃げた猿(この時代も飼っていたのだろうか?)を家人と一緒に追いかけていたとか、ほぼ意味不明の発想は幾つか浮かぶんですが( ̄▽ ̄)。o0○
一体、この御仁に何をさせたいんだ、私ゃ?(・・?

ちなみに白壁王は干されている頃、しょっちゅう、宅司(いえつかさ)と一緒に鷹の爪の手入れをしていて、息子から暇を持て余しているようだと思われておりました。
そして息子(長男)は暇があると、写経なんぞしていたり……( -」)φ
ちなみにもう一人の息子(次男)は、四六時中忙しい男で、暇なシーンなんてほぼ出てこない……(・.・;)
 
雲の林-東大寺東塔跡「花の頃はさながら雲の林だ。其方にも見せてやりたいものよ」
そのように語っていたのは、我等(?)が大覚寺統のホープ、世康親王でしたか。
後期南北朝の頃には、大覚寺統は再び吉野に御所を構えていたので、京の都の人々が吉野に詣でるのは、いうなれば反逆罪に等しい行為、花を詠むと吉野の桜でもめでようものならば、同等に見られても仕方がない、そういう状況だったはずです。
大和の生まれなのに吉野の桜など知らないという三郎(後の世阿弥元清)に、吉野の宮から抜け抜けと京にやって来た親王がこのように言うシーンが、昔書いていた話の中にあったはずです。
歴史モノに其の手の事(って、だから何なの?)を書かないとか申しましたが、この話は例外も良いところで、結構そういう(どういう?)事を書いていたような気が致します。

ここ何日か、血迷ったような事を平気で書いているので、もう一つついでに戯けた事でもほざいてみましょうか。

春日移しと枝垂れの華「それで義満は、いつまで其方を大童のままでいさせるつもりだ」
と笑う親王を十八歳になる三郎が、答える代わりに押し倒した揚句、
「どうも其方は、立場が分かっておらぬようだ」
と逆に押し返されて位置が逆転したところに、
「細川よりの使者が参りました」
と、襖の外から声がかかる……一体、何のシーンなんだ、こりゃ(*_*;
確か、世康親王という人は全くのノーマルで、18~9歳の時にさっさと結婚して娘がいるような人でしたっけ。
そしてある種の頭のネジが緩んでいるのか抜けているのか、周囲の野郎どもからそういう(だから、どういう?)目で見られてもほぼ気がついていないのか、あえて無視をしているのか……

まぁ、こういうヤツを臆面なく書いておりましたが、今現在書いているような話には、絶対に出てこないシーンですわ。
何せキャストがいないσ(^◇^;)
掴み合いの喧嘩ならばしてくれるような輩は、いくらでもいるんですけどね。
山部親王なんて、どう見ても体育会系だなぁ……一応、武道系よ。
 
ほぼ意味なく、橿原神宮の内拝殿 深い意味があるようなないような設定で、うちの連中が内緒話をする時は開け広げた場所で行え、そうすれば、誰かが近づいて来た時にも、すぐに分かるから。
これは志貴親王以来の家訓だとか何とか、それを藤原太政大臣が見習って、孫、曾孫の代まで、双方の家では余程の極寒期でない限りは、戸も蔀も開け放ってヤバイ話をしております。
おまけに、殆どの場合、前に酒の支度でもないと話が盛り上がらない?
色気の全くない連中ですみませんm(__)m

以前に知人と話をしておりまして、上代、政の話は閨の内で行われる事もあった云々……
参考までに、男女で政の話をするって訳じゃないんですね。
まぁ、こいつが武家社会にも町人社会にも引き継がれる訳でして、明らかにこれ(どれ?)は一つの文化だという訳ですか。

それにしてもですよ、その辺りでゆる~く、大河ドラマの話で盛り下がっておりまして、私の病気の一つが相変わらず出て来たりしております。
何の病気かって……人様のお話に、勝手に続編やら何やらを作りたがる事σ(^◇^;)

「いや、しかし、御身の物好きにも甚だ呆れるものよ」
「物好きとは、播磨守の子息の一件かな」
「物好きでないのなら、悪食とでも言うべきか」
「何を言うか。御身とて山海の美味ばかりでは食傷しようというもの、たまには路傍に生えた野蒜でも食してみとうなろうものを」
「ほお、野蒜とな」
「格別、悪いものでもない。一度、御身も試してみては如何か」
「まあ、気が向いたらと言うておこうか」

なんて事ない会話です、はい。
そもそも私は歴史モノでは、そのテ(どのテ)のシーンを入れたくない派だし、現代モノでそのテを書かせても、全然、色気も何もあったものじゃありませんからε-( ̄ヘ ̄)┌

この前のドラマの中で、内府はあっさりと本人に、
「兄ではなく汝を取り立てたのは、汝の方が御しやすいと踏んだからに過ぎぬ」と言う類を明かしておりましたが、これはチョイトいただけない……
まぁ、物語の進捗上、さっさと家盛の死去へ持って行かにゃならんから、こういう展開になったんでしょうけれど。
で、私ならば、この暴露をどこで行うかと申しますと、内府と別の愛人(勿論、公卿クラスだな)との閨話に持って来る訳ですわね、当の本人は抜きで。

「御身、今しがた私を悪食と言われたが、さすがの私でも、あのホコリタケを食そうとは思わぬ」
「それもそうだ。あのような者に手を出してみよ、父親のドクササコともども、こちらの命取りになろうというもの」

* ホコリタケ(兄の事です)は食用できますが、ごく若いモノだけで、チョッと日が経つと臭くて食べれないのだとか( ̄▽ ̄)。o0○
  ちなみにドクササコは、紛れもない毒キノコです(^_^)v
 
今朝(既に昨日だ)の新聞の一面に、滋賀県甲賀市の宮町遺跡の調査成果が載っておりました。
それにしても広々と調査区を開けたものです。
確かに何年か前に行った時、あの場所は一面の田んぼでしたから、農閑期の今ならば調査も可能でしょうか。
既にこの遺跡、国の史跡に指定されているから、調査範囲は全面買い上げという事になるのかな?
それにしても調査は、県ではなくて市教委で行っているんですね、珍しい事に。

それはともかく、宮町遺跡はほぼ聖武天皇の紫香楽宮という事で落ち着いております。
ここにしても恭仁宮にしても、突貫工事も良いところなので、正方位から微妙にずれているのが、何やらお粗末ですか……瓦の出土も殆どないみたいだし(恭仁の大極殿は別ですが)(゜.゜)
そして、内郭部にペアの建物という構造も同じと、新聞は妙に強調しております。

しかしですよ、研究者の多くは、やはり紫香楽宮(甲賀宮)は都だと考えているのですかねぇ?
この建物配置、離宮と違いますの??
単に面積が狭いから、あのような構造になったという事なの???

私は、甲賀寺あっての紫香楽宮だと思っているので、ここは離宮だと考えているんですよ。
聖武天皇としては、甲賀寺に未曾有の仏を造営するまで、この地と恭仁なり難波なりを行き来するつもりで、離宮を造営させたのではないのかと。
まずは寺の建立を腰を落ち着けて見守るために、長期滞在可能な離宮を造らせたのかもしれません。
都を恭仁か難波に定めて(この頃は、平城は既に眼中にない……)、甲賀寺完成の後は、仏都としての離宮を更にグレードアップするくらいのプランは持っていたと思うのですけどね。
まぁ、私が以前に書いていた話のベースになる考えですので、確証はと突っ込まれると、どこまで言えるものがあるのやら……

現地説明会、日曜日ですか……十中十まで用事があって行けないのですが・゚・(ノД`;)・゚・
まぁ、資料はネットでダウンロードできるかな。
岩船寺の塔の隅鬼職場で休み時間、寄りによって大河ドラマの話をしておりまして……
この前の日曜日に放映していた第二話の時点で、主人公の年齢は十二~三歳らしいという内容で、地味に盛り上がりました(-_-)

まあ、後期摂関期でもお公家さんのご子息はそのくらいの年齢で初冠(ういこうぶり)ですから、別に不思議には思いませんが、あのドラマでは二十二歳と言うにも無理がありすぎると、まあ、笑いの種ですね。
何所から見ても立派なヒネタ大童(おおわらわ)、一体、伊勢平氏にはどういう事情があるんだと勘繰りたくなるスタイルですわね(~_~)

ところであの場合は烏帽子なのか?冠なのか?それが分からない(?_?)
だいたい親父殿は、伊勢平氏として始めて昇殿を許された事が何よりの誇りなんだから、嫡男には烏帽子じゃなくて冠を着けさせたかったと違うのか……これは、調べてみないと分かりませんわ。
どちらにしても、押さえつけて烏帽子の紐結んで完了、ってな訳にゃ行かないでしょ?(・・?
結髪役も必要よ、加冠役に加えて(゜.゜)


ついでに最後の辺りの院の御所でのシーン……小童が二人、塀の上で見物しているのに、北面どもは何をしているんだ、ざるのような警備体制じゃないですか……(-_-;)
特に変な剣を抱えた方は、いつ矢衾にされたとて文句は言えませんわね。
もう一人の大童はと……こっちも多分、十歳を幾つも出てない年齢?

北面「そこな、小童、神妙に降りて参れ」
院 「何の騒ぎか」
為義「ややっ、なんと、我が倅では……」
院 「ほお、其方の子息か。其方らは親子そろって、何所まで我を愚弄すれば気が済むか。まあ良い、以後、其方らは我が御所への出入りは禁ずるゆえ、肝に銘じておくが良い」
為義「……SBN!」
義朝「そんなバカな、ですか、父上」
為義「やかぁしいわ」

という、つまらないギャグを、つい、ひねってしまいました( ̄▽ ̄)。o0○
 
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HN:
うめぞー
性別:
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