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ただ今考え中のプランは、200枚程度(400字詰め換算で)の短さで、軽いノリの話を書こうかという事です。
いつものように野郎の一人称語りで、今回は何とな~く、藤原種継かな~、と思っています。
でもこの御仁、表面的には軽いけど、実は決して軽薄ではない、むしろ大胆に割り切るような人かもしれません。
そこで軽くなってもらおうとしているキャラクターは、うちで一番のいじられ役、山部王だったりします……既に難題の兆しが(・.・;)
この御仁に河内行幸の時、かなり目立つ事をやってもらおうと考えているのですが、さて、この時代、やはりこういう事は上級公家や皇族のたしなみの一つだったんだろうかと、ここでまた疑問が湧いて来ました。
これに対して父親の白壁王は、自分も若い頃には皇族官人としてやった事があるし、高野女帝ですら皇太子時代に人前に立ったのだから、決して珍しい事ではないなどと言っております……私が言わせているだけですがσ(^◇^;)
それにしても、幼少時は南山背の田舎で文武両道とか言いながら、史部というよりも武官の方が遥かに通りの良い、母方の祖父や叔父に囲まれて育った(という設定の)山部王が、いったいいつ、こんな事を教わったというか練習したんでしょう。
やっぱり、任官して内舎人になってからかなぁ……大学で教えてもらう訳ない類だし(゜_゜>)
時に、この何日かの降って湧いたような話題に、平城宮跡の第一次大極殿院の朝堂院地区(しかるに朝庭か)をコンクリート舗装するとか何とか、またも勝手に県や国が説明どころか討議もなしに決めたとか。
思わず、「今は昭和四十年代か?!」 と叫びたくなりましたわ。
常識のある人ならば反対するのは当たり前。
平坦に見えて、実は起伏のある土地、殊に大極殿院は舌状台地の上に乗っているので、ここをコンクリート何ぞで塞いでしまえば、地下水がほぼ途絶える可能性が出て来るでしょう。
これを防ぐために、バイパスのルートも変えて欲しいと言っているのに、それを別方面から済し崩しにしたいって、決定の責任者は後々まで恥を晒したいのだろうか……言われても仕方ない気がする。
それとも、そこでヤンキー(既に死後か?)に打ち上げ花火でもして、遊んでくれと場所提供したいの?
バイクでも乗り入れて、夜中まで騒いでくれとでも??
そうなる事は目に見えているでしょうに……
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