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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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来年から再来年にかけて第60次式年造替(しきねんぞうたい)をむかえる春日大社では、各社殿の修理を順次行っています。
修理のメインは屋根を綺麗にする事で、多くの建物は檜皮で葺かれています。
現在は内侍殿(ないしでん)の屋根の檜皮を葺き替えています。

この内侍殿は、御本殿の修理に際して神様に御移り願う建物として、『移殿(うつしどの)』とも呼ばれています。
回廊内の大杉に向かって左後方に建っていますが、今は覆い屋の内で見る事は出来ません。

 今月の3日から15日まで、移殿の檜皮葺き替え現場の見学会が行われました。
この時には既に屋根の西側は葺き終わったので、一般の人たちにも見てもらえる状況となっていました。
ちなみに、私が参加したのは11日です。
このように神職さんもヘルメットをかぶって、屋根の間近まで案内してくれました。

屋根の端は20cm近い厚さに桧皮を重ねています。
梁や垂木には既に朱色が塗りなおされ、軒下から見える室内には、神様の座も用意されています。

檜皮の屋根というのは、最も贅沢な拭き方なのだそうです。
檜の樹皮をこのように何枚も重ねて、竹の釘で留めて行くのですから、膨大な量の皮が必要となります。
油分が多いので水に強く、軽いのが最大の利点だそうですが、有機物だけに3~40年程度しかもたないので、そのつど葺き替えが必要となります。

このような訳で、春日大社では参拝される方に、寄付金という形で檜皮一束の御奉納をお願いしています。
私も思い出した時にしておりますが、そのつどオリジナルのクリアファイルをいただけます。
また4月か5月にデザインが変わるそうなので、その頃にまた奉納させて頂こうと思っております。
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二の鳥居から八日から木津川市の浄瑠璃寺で秘仏の大日如来の公開があるので、時間が取れる時にと出かけて来ました。
そこからすぐ近くなので、岩船寺にも行き、その帰りに奈良市の奈良豆比古神社に御参りして来ました。

境内では宮司さん(かな?)が、22日に行われる御弓始式のための弓の準備をしておられました。
笹竹を数十センチに切って矢羽を着け、厄除けとして、氏子の60歳以上の方などに配るため、170本程度を用意するのだそうです。

今日も構えてる左の子一方、本殿前の狛犬さんは今日もそろってこの通り。
ここ最近は前掛けはしていないようで、今日もこんな姿で座っています。
注連縄のアンクレットは新しい物になっていました。

そういえば、このブログのカテゴリーに『お犬様』もあったんでしたねぇ……その辺の神社で、結構な数を写真に写しているのに、全然上げておりませなんだ(-_-;)
『万葉歌碑』とともに、既に何所に入っているのやら、探すのが大変ですわ……(゜-゜)

今日もご機嫌な右の子私がこのように暢気に狛犬を眺めている間も、御近所の方がおいでになって、神楽殿の周囲を回りながら祈祷させたり、境内にある末社をそれぞれめぐっての御参りをされていました。

昨年の『翁舞』の時は、ここ最近では珍しいほどの人出だったようですが、こちらはそれ程有名な観光地という訳でもないのか、普段はこのように御近所の方々の、ごく日常的な御参り場所としてあるようです。

大楠



 

興福寺南円堂 右近の橘また夜歩きしている訳です……彡(-L-彡)
ちなみにこの画像は内容とは別物、少し前に写しました興福寺南円堂の『右近の橘』です。
今年は沢山の実をつけています。

日中は招待券を頂いたので、難波の髙島屋で『大和の尼寺三門跡寺院の美と文化』展を見ておりました。
その後、奈良まで行きまして、氷室神社の『例大祭』を一寸だけ拝見して帰って来ようと思っておりました。
でも思っただけで、いざ『夕座の儀』が始まって、その後に『東遊び』と『舞楽』の奉納があると聞けば、そのまま居座ってしまうのは私には極めてありがちな事です。

『夕座の儀』の時に頂いた『舞楽目録』を眺めて見ますと、18時から始まって……二時間じゃ絶対に終わらないよ、これだけの曲目(・_・;)
近くにいた女性から「何時くらいに終わるか御存知ですか」と聞かれ、「多分、9時を回ると思います」……案の定、終わったのは21時20分くらいでしたσ(^◇^;)

そして帰って来たのは22時40分……色々一段落して、ついさっきまで『ケータイ大喜利』なんぞ見て、猫と一緒に爆笑しておりました。
出かける時には、21時までに帰って来て今日は映画でも見ようか、裏番組のドラマも気になるなどと悩んでおりましたが、これでまったく悩む必要はなくなった次第です。
映画はその内、DVDでも借りて来りゃ良いんだよ(-_-)
それより、またもや写してきた写真の整理をしなければ……そういう訳で、例大祭の模様は後ほど。

しかし、来週の土曜日も同じような状況になりそうだわ……奈良坂辺りは更に冷えそうだから、冬物のストール持って行かねば(゜.゜)
 
若宮社 七月末の状況春日大社は数年前から【第60次式年造替】の事業の進行中で、一の鳥居の修理塗り直しから始まって、車舎(くるまやどり)と直会殿(なおらいでん)の屋根の葺替えが終わり、今は着到殿(ちゃくとうでん)と若宮社の拝舎(はいのや)、細殿(ほそどの)、神楽殿(かぐらでん)の屋根を葺替えています。
そのような訳で現在作業中の建物は、このように単管で周囲に足場を組まれて素屋根を被せられ、シートで覆われています。

今月の初めから10月20日まで、着到殿の檜皮葺替え作業の様子が、平日にのみ公開されています。
現在の様子ところが休日には事前申し込みになりますが、有料で県の文化財関係の技師の方の講座付きで、と現地見学会も行う特別講座が開かれています。
こいつに昨日の午前中、参加して参りました……が、内部の様子は写真は御遠慮下さいとの事で、画像は御座いませんm(__)m
着到殿の屋根の葺替えは45年ぶりだそうで、檜皮はもちろん、下の地板や垂木にもダメージが及んでいて、いささか大掛かりな修理になったとか。

年月のたった屋根がどうなるかと言うと、次の画像のように、草や木が好き勝手に生えて来て、軒先が曲がって来て、終には落ちてしまいます。
竃殿(へっついどの)の屋根の様子着到殿も修理を始める前は、これに近い状況だったそうで、今は檜皮葺の職人さんたちが毎日、竹の釘(口に含んで湿らせてから、次々と打ち込んで行きます)で檜皮を留める作業を続けています。
この厚さが軒の一番端では20cm以上になっていますし、全体も1cm刻みで皮をずらし、9cmの厚さで葺いて行くだけではなく、全体のバランスも度々チェックしながら行うそうなので、実に時間と根気と熟練の必要な仕事かと驚かされます。
実は、屋根の葺き方としては檜皮葺が一番、高価で贅沢な方法なのだそうです。
それにしても、屋根の高さの足場に上って、どの部分を見せて頂いても惚れ惚れするようなカーブです。

檜皮葺の古い記録では、滋賀県の崇福寺(天智天皇の勅願寺、現在はありません)の金堂や塔として既に見えるようで、今も格式の高い神社の本殿などに用いられています。
直会殿(葺替え済み)と幣殿(葺替え前)の屋根私の記憶では、室生寺三重塔も檜皮葺で、十年以上前に台風で被害にあった時には、裏山の檜で檜皮をまかなって修理されたそうです。
最近では御所市の高鴨神社の神殿も、修復が完了して綺麗になっています。
こちらも奥の院にぬける池沿いの山林で、檜皮を採取した跡を何年かに渡って見る事が出来ました。
真っ直ぐな幹の木の皮を縦に、2~30cm幅で剥いていましたので、一本の木から採れる量も知れています。
この檜皮の確保が、ここ最近ではかなり難しいのだそうです。
かつての寺社は領地として山林を保有していて、この山で檜皮も用意する事が可能だったと聞いていますが、今ではこれが出来る寺社は本当に限られているでしょう。

春日大社ともなれば、春日山は昔から御神域で今では世界遺産、この山の檜からの採取はしていなかったでしょうから、各地にあった荘園から寄進されていた物と思われます。
そして現在では、一般からも広く寄付を募っているという状況となります。

特別講座は昼には終わったので、この後、荷茶屋で昼餉の御粥を食べて、奈良町の春鹿の酒造祭りを少しだけ覘いて(飲んでおりません、残念ながら)、行きつけのカフェで時間つぶしをした後、東大寺に行って参りました。

法要後の大仏殿昨夜は『東日本大震災物故者慰霊と被害地復興への祈り』として、東大寺監修で鶴岡八幡宮との合同の法要が行われました。
鶴岡八幡宮からも吉田宮司や神職方々、崇敬者の方々も多く参列され、八乙女の『浦安の舞』も奉納されました……不謹慎ながら、三嶋大社の舞姫たちよりも上手です、たぶん練習の密度が違うのだと思う(゜.゜)
大祭が終わったばかりで御疲れでしょうに、本当にありがたい事ですm(__)m

この日も大仏殿の窓が開けられました。
それにしても東大寺の北河原管長にしても、春日大社の花山院宮司にしても、御若い(東大寺では70歳未満は若いのだそうです)だけあって、色々な事に積極的に着手して下さり、友の会の半端な会員としてもますます敬服致す限りですm(__)m……などと、下心付きで頭を下げるから、不信心だと自他共に認める事になるのかσ(^◇^;)
 
チョッと可愛そうな石燈籠春日大社といえば燈籠でしょう、ってな訳でまたもや石燈籠の事で失礼致します。
こちらの神社には、大雑把な数字で申しますと、釣燈籠が千基で石燈籠が二千基あるそうです。
そういう訳で、有名人の奉納した燈籠も沢山あります。
この画像の石燈籠も、多分、その一つに入るのかもしれません。

少し前に気がついて、先日に写真を撮ってきた物ですが、こいつがどこにあるのかと申しますと『壷神社』の前です。
竿の上部に『壷神社』と書かれているのが分かるでしょうか?
『壷神社』もしくは『壷神神社』というのだそうですが、場所は『万葉植物園』入り口のすぐ横で、チョッと大き目の赤い社ですから分かりやすいと思います。

燈籠が変な形に見えるのは、火袋の部分が無いためです。
このチョッと可愛そうな状況の奉納者がどなたなのかと申しますと、それは次の部分的アップの写真を参考に。

中川さんって、どこの方?中川政七』とあります。
さて、この方はどなたでしょう?
名前の横に書かれている住所(?)は奈良元林院町、でしょうかね。
現在のもちいどのアーケードの辺りです。
もちいどのアーケードを南に向かって行き、二番目くらいの路地を左に入って少し行きますと、『遊 中川』の本店があり、涼しげに洗練された店内は観光客でにぎわっています。

奈良晒は江戸時代から将軍家や大名家のご用達、今では皇室にも献上するだけの良品として、長い歴史を持っているそうです。
こちらの本来の会社名は『株式会社中川政七商店』、三百年の歴史のあるお店だそうです。
現在の社長さんはとても行動力と自由な発想のある方だそうで、商品をブランド化して店舗を大阪や京都どころか東京の表参道にまで出したのだとか。
とか何とか申しまして、私はこのお店の前はしょっちゅう通るのですが、店内には一回も入った事がありませんσ(^◇^;)
だって普段使いにするには、手の出ないような商品が多いんだもの。
そういう訳でこの石燈籠、こちらの何代か前のご店主が奉納した物でしょうか。

ところで『壷神社』ってどなたを祀っているのでしょう?
壷と言うからには酒の神様なのかと思うのですが、もしもこの中川政七さんが晒問屋のご主人だとしたら、どうして酒の神様に燈籠を奉納したのでしょうか??
もしかして『壷』は酒壷ではなくて染物、藍瓶の事とか???
『壷神社』をチョッと調べてみたのですが、全然分からなくて……
春日大社 林檎の庭この画像は18日に写したものです。
場所は『春日大社』

春日大社の本殿前の庭は『林檎の庭』と呼ばれ、約800年前に高倉天皇が和林檎の木を奉納した事から、そのように呼ばれています。
現在の林檎の木は、昭和32年に植えられたものだそうです。

今年の四月には見事に
花盛りでした。
そのような訳で、今年は実りも良いでしょうとの予測をしていたのですが、とにかく6月7月と忙しくて、このままでは見に行きそびれるかと危惧しておりました(゜.゜)


数センチしかない、小さな実です。ようやく奈良市に出かける事ができたのが7月18日、雨模様の中を春日大社まで足を伸ばしました。
『車舎(くるまやどり)』では、いつぞやのように流鏑馬の練習が行われていました。
それを横目に見ながら本殿に向かいますと、途中の『著到殿(ちゃくとうでん)』が覆い屋になっていました。
式年造替に向けて、修理や屋根の葺き替えが行われるのでしょうか。

さて、問題の和林檎の木は、果たしてたわわに実っておりました(^^)
葉っぱが枯れ始めていたので、ちょっと見栄えが良くないのですが、アップにするとこんな感じ。
この和林檎、実は数センチしかなく、赤く熟したところを見た記憶がありません。
いくらか黄色くなって落ちているのは見た事があるのですが……σ(^◇^;)

今度は興福寺の南円堂前の橘を見に行こうかな。
昨年は花がぜんぜんつかず、実もほとんど実っておりませんでしたが、今年の春にはかなり白い花が咲いていたような気がしましたので……実は覚えていないような(゜_゜)

朝から『大神神社』というか『狭井神社』に水を汲みに行ったのが間違っていたのか……?
参道に曲がった途端に渋滞しているではありませんか。
もう八日だってのに、まだ初詣?!
そして警備員の方が、手前の有料駐車場に入れと手招きをしているのですが、それを無視して二の鳥居の辺りまで行けば、別に駐車場が全くないという訳でもなし、誰が有料の所なんて留めますかって……これだから地元民は(ーー;)
でも、この時季はそちらも料金は取らないとも聞いてますがね。

鳥居脇の石灯籠そして、さっさと水を汲んできた後、『大和神社』か『石上神宮』でも行こうかと、何となくロードマップを眺めたところ、昨年から目に付いて仕方のなかった永原町の『御霊神社』に、またもや目が行ってしまいました。
また社が呼んでるの?それとも私の方が呼んでるのか?
知った事っちゃないので、それじゃ行ってみますか(~_~;)

いざ到着してみたら、思いの他大きな神社です。
御近所の村社って感じね。
ところが、鳥居に扁額がありませんし、境内のどこにも由緒書きがありません。
それでも鳥居脇の立派な石灯籠には『御霊社』の文字が彫られ、拝殿前に並んだ石灯籠の名前も『御霊大明神』です。

拝殿と狛犬狛犬は万延元年の砂岩製、かなり見事な面構えですので、後でカテゴリーを変えて紹介したいと思います。

この御社は『撞木造』というのでしょうか?
あまり、この辺りでは見かけない形式です。
多分、江戸時代に立てられた物だと思うのですが、向かって左側の方は補修されているようです。

思いの他、立派な御社それにしても、こちらの御祭神はどなたなのでしょうか?
ネットで少々検索してみたのですが、どうもはっきりしません。
永原村福知堂村九条村の三つの村の神社を合祀したとありましたので、その神社の中に『御霊社』があったのでしょうか?
場所からしても『上津道』のすぐ近く、
崇道天皇関係の神社があっても不思議ではなさそうです。

しかしですよ……ここの神社も、鳥居から一歩入った途端、ゾワッとするほど寒いんですよ。
慌てて出てみたら、そうでもない……また入ってみたら、明らかに寒い(@_@;)
こういう人の来ない神社って、何か溜まるのかしら??
午前中に行った『大神神社』みたいな人だかりじゃ、私みたいに鈍い奴には全然、分からないんだけれど(?_?)

既に塗り直されてますね。こちら奈良市八島町の『嶋田神社』です。
私の出没場所の一つ、八嶋御陵から歩いて数分の場所にあります。

この画像は昨年の九月十一日に写したものです。
何をしているかは一目瞭然、御社の塗り直しです。
以前はこちらの画像を参照下さい。
天気は悪いですが、社の色も褪めているのは分かると思います。
それが、ここでは既に鮮やかな朱色になっています。

眩しい赤ですそしてこちらは、この正月二日の写真、周囲に組まれていた足場も、とっくの昔に外されています。。
天気も良いですが、赤い柱も鮮やかです。

この社は以前の記事にも書きましたが、元々は春日大社若宮社の御社だったそうです。
春日大社の次の式年造替は平成26年でしたか、今では社を新たに造り直しはしないそうですが、解体修理をして塗り直しもするのだと聞いています。

ところで、昨日は春日大社の『神楽始め式』でしたっけ。
こちらの記事もあげなければ(~_~;)
木製の扁額え~と、先週の続きを今更ながら(~_~;)
『東明寺』の帰り、国道25号線を通ると、かなり混雑している時間だと思われるので、そちらを避けるべく、記憶をたどって裏道を南下しておりました。
お陰で見当違いの、富雄川沿いの道に出てしまいまして、まぁ、このまま南下すれば大和川に出るでしょうと、あまり気にせずに走り続けました。

『法隆寺国際高校』を過ぎて、『法隆寺自動車学校』を過ぎた辺りで、左手前方に鳥居が見えたので、ここでチョッと地図でも見ようかと、すぐ脇にある駐車スペースらしき場所に乗り入れました。
しかし、ロードマップにはこの神社は載っておりません。
ともあれ、さっき自動車学校を過ぎたところだから、安堵町笠目という辺りです。

春日造の神殿です。ところでここは何という神社でしょう?
鳥居の横に由緒書きの看板があったので、見に行ったところ……『御霊神社』でした。
何でこんな所に御霊さんなのでしょうと由緒書きを見ますと、

『祭神は不詳だが、一説には津速彦霊命とする。由緒も不明だが、以前は牛頭天王を祭神とし、富雄川治水のための水神を奉祀したものか。境内末社に水神を祭る龍神社がある。(後略)』

牛頭天王ならば『八坂神社』だと思うのですが、もう少し南に行って、大和川を越した所に『広瀬大社』がありますから、そちらと関連がある水神様を祀っているというところでしょうか。

そういえば、奈良市の大安寺にある『御霊神社』も水に関係する神様を祭っていましたっけ。
水と御霊、何か関係があるんでしょうか?
ところで関東で『御霊神社』というと、確か有力氏族の祖先を祀った神社だと思うのですが……
う~ん、所変われば神も替わる?

……ブラジルのオウンゴールだと?!
あ~あぁ、何となくオランダペースになって来てない??
ドゥンガ監督、吼えろ……この人、ジュビロ時代、いつも吼えてた印象ありますわ(^_^;)
今日も夜更かしして、ワールドカップ見ているうめぞーでした。
綺麗になった社日曜日に土砂降りの中、奈良市紀寺町にある璉珹寺に行ったのですが、その途中で久々に『井上神社』の前を通りました。
何と、鳥居が綺麗に塗り直されて扁額も着け直されたようで、御社も綺麗になっていました。
一年前にはかなり寂れた感じで、つい通り過ぎてしまうような雰囲気だったのですが、この鮮やかな赤い色のお陰で、つい足を止めたい気分になります。

由緒書きの看板も新たに設置されていまして、それによりますとこちらの御祭神は井上内親王他戸親王となっていました。
延暦十九年に勅命によって、この地に社を造って御霊を祀ったのですが、宝徳二年に元興寺と興福寺との争乱によって社も類焼してしまい、翌年に元興寺が現在の薬師堂町の『御霊神社』に、御霊を移したのだそうです。
この辺りの井上町という名前はこちらの社に由来し、この場所の社も新たに構えたもののようです。
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