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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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先般、奈良町の『御霊神社』の由緒略記が出て来たので読んでおりました。
結構眉唾な事を書いてあるのは、いずれの神社にも在りがちなのだと思うのですが、よく読んでみますと疑問の一部が解けたと思う箇所もあります。
では、以下に引用参照致します。

当時は特に疫病が流行していたので奈良より他村に通ずる道(現在の中辻町)を中津道(中街道)井上内親王 西紀寺町を上津道(上街道)に早良親王 京終町下津道(下街道)に他戸親王の御神輿を据えて他方面からの流行病が奈良に入って来ないで平穏にして健康で産業発展をお祈りし平和の神として信仰が厚かった。

何となく日本語が変ですか?
ここで言う当時が、前後の文の流れから延暦十九年頃なのか、貞観五年頃なのかが良く分からないのですが、紀寺町周辺に崇道天皇関係の社の多い理由が、これでようやく分かりました。
上津道』は奈良盆地を南北に通るルートの一番東側、現在の国道169号線にほぼ当たると聞いています。
先日、気まぐれに出かけた『崇道天王社』のある出屋敷町神殿町北永井町は、国道169号線沿いにあります。
この道は南紀寺町で東にクランクして市立病院の方に反れますが、本来のルートを北上させますと、件の『崇道天皇社』のすぐ西側の路地となります。
由緒略記にある御神輿を置いた場所にまさに相当するという事です。

ところで『中津道』は現在の県道51号線がほぼ踏襲している、盆地の真ん中を走るルート、これを更に北に伸ばしますと大安寺町に至り、中辻町からはかなり西に反れています。
しかし県道51号線の沿線を見てみますと、天理市西井上堂町田原本町東井上という地名が見えておりまして、あながち無縁でもなさそうな雰囲気(?)です(^^ゞ

ところが『中街道』となりますと、これが現在の国道24号線となりまして、奈良時代でいうところの『下津道』に大体相当するそうなのでややこしい……(*_*;
下津道は平城京の朱雀大路に通じますので、奈良市杏町大和郡山市下三橋町(羅城門跡があります)などを通っています。
そして京終町は下津道ではなく、むしろ上津道に近い場所になります。
このあたりのどこを眺めてみても、他戸親王関係と思われる地名などが、現在の地図では見当たらないのが何とも腑に落ちないところです。
こりゃ、条理復元図や小字名の地図でも眺めて探してみる必要があるのかしらねぇ……
いずれ、何かの機会に探してみますかε-( ̄ヘ ̄)┌
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