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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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9月29日の『東大寺で見つけてみよう(^^ゞ5』の辛国神社がなぜ天狗社と呼ばれているかが、少しばかり分かりましたので報告致しますm(__)m

奈良町の西の方に『阿字万字(あぜまめ)』という字名があります。
昔この町にあった宿屋に天狗が突然振ってきたという、なんとも奇妙な伝説があります。
この天狗はしばらくの間、同町に祭られていたのだそうですが、明治維新になって行き先が困り、どういう訳か東大寺に転居してもらう事になり、境内の『辛国神社』に鎮座していただいたのだとか……

そもそもこの辛国神社は、良弁僧正(金鐘行者)と法力比べをして負けた辛国行者が祭られているという伝承もあるらしく、この神社のある大仏殿東側の丘(鐘楼や俊乗堂のある場所ですね)は、本来は辛国連などの渡来系氏族の所有地だったと考える説もあるようです。
金鐘寺を総国分寺にするに当たって行政執行をかけたようなものですかねぇ。
それで辛国連の氏長格の人が最後まで抵抗したものの、国家権力の前には敗れ去ったとか(*_*;?

何でも良弁に負けた行者は、捨て台詞を残して地の底に去って行った……??
この話はどこに載ってるんだ……『古事談』で良いのか???
どうやら阿字万字町の人たちには、天狗のイメージが辛国行者とかぶったらしく、この辛国神社を天狗の移住先に選んだのではないかとのお話でした(~_~;)
そういえば、神社内の涸れた手水鉢に『阿字万字町』の名前が刻まれていましたか。
ろくな写真がないので、その内写して来たらUPしましょうか。

ついでに、大仏殿からこの『辛国神社』に登ってくる石段には、『猫段』という名前がついているのだそうです。
この石段で転ぶと、猫に生まれ変わるのだとか……ホンマかいなσ(^◇^;)
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つい、アップロードしてしまったので、記事を変えまして(^^ゞ

更に分からない(+_+)こちらは奈良市八島町の『嶋田神社』の本殿ですね。
一昨日にもあげました社を別のアングルから見たものです。
やはり銅版で屋根は覆われていますが、同じ造りで、サイズも『御霊神社』や『崇道天皇社』と同じくらいでしょうか。
享保十二(1727)年、もしくは慶長十八(1613)年の造営に伴う移築だそうで、春日大社本殿の第二殿だそうです。

やっぱり分かりませんわ……比べた三つが良く似ているのは、同じ建築様式を取っているからですしねぇ。

やっぱり分からない??そういうわけでもう一つ駄目押しに(~_~;)
こちらは奈良市高畑町の『鏡神社』です。
奈良市教育委員会の解説看板によると、この本殿は、享保十三(1728)年に春日大社本殿の第三殿として建立され、延享三(1746)年に第四十七次式年造替によって移築されたのだそうです。
春日大社の場合は『式年造替』というんですか、一つ利口になったかなσ(^◇^;)

こっちは完全にアングルが違いますね。
でもサイズとしては確か同じくらいだったと思います。
他の神社に同様に一間社春日造りです。
こうしてみていると、『御霊神社』本殿も可能性があるような……
いずれどなたか、この方面に詳しい方に聞いてみますか。
県内にはまだ幾つも、確実な『春日移し』の御社はあるそうですしね。
確か柳生にも二つ三つあったような……その内見に行きましょうっと(^_^)
全体が良く分かりませんねぇ……昨日の続きです。
これが奈良町の『御霊神社』の本殿です。
正面には拝殿があるために、斜め方向か横から写すしかないし、周囲の柵や木々で全体が見渡せないので、ロクな写真がありませんん(ーー゛)
屋根が銅版で覆われています。
これは良くある事で、多分この下には桧皮葺の屋根があるのだと思いますが、傷みがひどくなって来たためにこのような姿になったのかもしれません。

それでですね、こいつが『春日移し』かという事になりますと……
確かに一間社春日造りの堂々とした御社です。
何せ私は建築には全く暗くて、どこをどのように見るべきなのか分からないのですわ(+_+)
そういう訳で、他の例と比べてみるのが良いのかもしれません。

これじゃ分からんわσ(^◇^;) 以前にもあげました奈良市紀寺町の『崇道天皇社』です。
こちらは元和九(1623)年の式年造営により、春日神社の若宮社を移した物です。
で……比べるにしても、アングルが全然違うんですが(@_@;)
こちらの御社こそ、瑞垣がぐるりと建て巡っていて、屋根くらいしか見えないんですよね。
正面は完全に拝殿にふさがれていますから。
しかし屋根の形は同じです。
そりゃ、同じ春日造りですからねぇ。

そういう訳で、もう少し別のやつも見てみますか(^_^;)
一番肝心の神社を忘れていますね。
私が奈良町でいつも立ち寄る場所、つまり『御霊神社』でしょう。
確かここの本殿、かなり古くて、室町時代の終わりくらいの物だと聞いています。
しかし、こいつもうろ覚えの範疇なので、もしかしたら別の所と勘違いをしているかもしれません。
少しばかりネットで調べてみたのですが、それらしい記事も見当たりませんし(*_*;
でも一間社春日造りの見事な御社の事は間違いありません。
この大きな社を中心にして、左右に小さな社が並んでいるはずです。
本殿にしても、きれいに塗りなおされているので、あまり古いという印象を受けないのですがねぇ……
こちらの本殿の画像があるようでしたら、改めてあげ直す事と致しましょう。

考えてみれば式年造替は二十年に一度、春日大社の本殿は四つ、それに若宮社まで加えれば、一世紀の内に二十五棟もの御社が建て替えになるのですから、あちらこちらに春日移しの社殿があっても、そうそうおかしくはないかもしれません。
今度気が向いたら、春日移しツアーしようかしらσ(^◇^;)

昨日の日曜日に、久々の墓参ツアーに行って来たのですが、明日以降に気が向きましたら、この記事でも。
でも、行った所は半年前と殆ど同じなんですけどね(~_~;)
本当に八つなのか?さても昨日の続きです。
雨の中を開き直って八嶋御陵まで行きました。
前池にカイツブリが泳いでいるのをはじめ、ここに来るといつも鳥がいるような気がします。
この日も雨の中、あちらこちらから鳥の声が聞こえて来るのですね。

地形的には東からの山がなだらかに下りてくる端の所、東と南は山に塞がれているけれど、北と西には土地が開けています。
特に西側に下って行く地形なので、展望は良く開けています。

この画像は御陵の前にある件の岩座なのですが、改めて眺めてみますと、こりゃやっぱり、後期古墳の石室でしょう(^^ゞ
奥の真ん中の前傾している石なんて、どう見ても石室の奥石ですわ。
左側の一番大きい奴も一面が平らに加工されてるし、こいつらが一段目として、その前の方に転がっている奴らは二段目以上、枕のような形の奴は裏込めか間に込めた石でしょうか。
奥壁の石がほぼ元位置だとしたら、南向きの斜面に、南を向いて開口している事になります。
この石の感じからして六世紀の半ば以降かな?

早良親王の改葬によって御陵を造るとしたら九世紀初の事、時間差はかなりあります。
天井石や羨道部の石は、とうの昔にどこかに運ばれて二次利用されていてもおかしくないでしょう。
まあ、私は横穴式石室に詳しい訳じゃないから、本当にそうなのかと言われると、断言はできないのですがね(~_~;)

見事な社殿です。八嶋陵の前の道を200メートルばかり東へ行くと、左手に社の森が見え『嶋田神社』が鎮座しています。
この画像も、以前の記事と殆ど変わりませんねぇ(^_^;)
ただし解析度が違うので、クリックして頂ければ社殿の前の燈籠の『崇道天王社』の文字が分かりやすいと思います。
奥の方に、厳つい顔した狛犬も見えています(~_~)

この社殿の前で拍手を打っておりますと、左手の木の梢でガサガサと大きく騒がしい音がしました。
カラスかなと思いきや……社務所(なのかな?)の屋根の上に、茶色い猫くらいの影が?!
何でこんなところにニホンザルがいる!?!?
尻尾がなかったので、間違いなく日本猿ですわσ(^◇^;)
あまり大きくなかったので雌か子供でしょうか、拝殿の横に木に飛び移って行きました(*_*;

ところで、紀寺町の『崇道天皇社』や高畑町の『新薬師寺』の隣にある『南都鏡神社』に同様、こちらも春日移しの社殿ですから、正真正銘の春日造りです。
私が見に行った事のある、この三つの神社はいずれも御霊さんを祭る社です。

春日造りの、三つの社があります。実は今日、『奈良豆比古神社』に行って来たのですが、ここは別名“奈良坂の春日さん”とも呼ばれるそうで、石灯籠に刻まれた名前はことごとく『春日社』です。
御祭神として志貴親王(春日宮天皇)や春日王が祭られているので、この名前は別に何の不思議もありません。

藤原氏の氏神たる春日大明神と、こちらの春日の神が同じだとは思いませんが、このような名前の一致と、『春日大社』の社殿を移す事と何か関係があるものなのでしょうか?
とは申せ、志貴親王家の人たちで御霊さん扱いされている方は、まず『御霊神社』に御祭されていますからねぇ……
で、御霊社で春日移しってあるのかしら?
五條市に見に行った内では、特に思い当たらないのだけれど……
何か気になる、もう一度、調べてみませんと(@_@;)

ところで春日で思い出したのですが、今年は『芝能』が行われないんですよ!!!
ここ最近、御能にはかなり疎遠で、天気さえ良ければ見に行きたいと思っていたのに(;_;)
とか何とか言いつつ、今日の大淀町での演能には行きませなんだが。
だって『隅田川』みたいな暗い話、苦手なんだもの(+_+)
相変わらずの春日造り昼になっても雨の降りそうな気配がないので、久々に墓参にでも行こうかとマイカーで出かけました。
行き先はいつものように田原方面なのですが……

そのまままっすぐ行くのも芸がないと、途中で寄り道でもする事に致しました。
先日から少し気になっているのが、奈良市北永井町にある『崇道天王社』です。
この辺りには三つ四つの同じ御祭神の神社がありまして、こちらが唯一、私の持っているロードマップに載っているんですね。
燈籠に神社の名前が見えます。道は特に分かりにくいものではないのですが、とにかく古い集落の中の細い道を入って行かなければならないのがネックです。
近くの小学校に停めてやろうかと思いきや、神社の前が少し広くなっていたので、少々強引に車を寄せました。
しかし鳥居に扁額がない……本当にここなのかと見れば、このように燈籠に名前が彫られていました。
ちなみにこちらの由緒来歴の説明はなし。
どうしてここに早良親王を祭る神社があるものやら、良く分かりません。
社の前に古そうな御行儀の良い狛犬がいるのですが、拝殿から中へ入る事ができないので、スゴスゴと引き上げてきました(T_T)

こちらも見事な春日造りこのすぐ近くの神殿町にも『崇道天皇神社』があります。
公民館のすぐ隣と聞いていたので分かりやすいのですが、こちらもどこに車を停めようか……
少し先の道の広くなった辺りにハザードを点けて停めておきました。

神社建築にはまるで詳しくないのですが、御霊関係の神社ってもしかして殆どが春日造りなのでしょうか?
流造りはあまり記憶にないような??

全体に真新しい印象を受けます。ともあれ公民館の敷地内に神社があるというか、神社の境内に公民館があるというか、どちらも新しい印象の建物です。
こちらも北永井町の神社同様、拝殿に鍵がかかっていて本殿に近づけません。
そしてこちらにも来歴を記すような説明書きが一切ないのです。

しかしどうして、私ゃ、こんな神社に来ているんだろう、そろそろ雨も降り出しているのに?
変な言い訳ですが、どうも良く分からないんです。
実はこの近くにもう一つ、同じような神社があるそうで、大体の位置は分かるのですが地図には載っておりません。

見事、呼ばれました(@_@;)取り敢えず近くまで行って見るか、そのような安請け合いで向かったのですが、こここそ住宅地の中でまったく道が分からない(@_@;)
適当なところで引き返そうと、路地を出ようとした時に見たバックミラーに、この燈籠と鳥居が映っているんですよ……(*_*;
嫌だなぁ~~、ここ最近、呼ばれるんだよ、五月の初めに変なモノを拾って京都に置いて来てから……
これでもかとあつらえた様な社の森、気味は悪くないんですけど、さてもどうしましょう。
ちょっと古そうな境内です。今までの二箇所に比べると、社も境内も古そうな雰囲気です。
鳥居に扁額はないのですが、燈籠に寄ればこちらの社の名前は『崇道天王社』、例によって説明書きはありません。

この頃になると雨は本降り、この状況で田原まで山道を行く気はスッカリ失せました(;_:)
車に戻って地図を眺めておりますと、大安寺の近くに『御霊神社』の文字が見えるじゃありませんか。
塔跡の現説に行った時、御寺の横手にある駐車場に停めて、そのすぐ横に『推古天皇社』があったのは良く覚えていますが、『御霊神社』はそのすぐ北側にあるんですね。
車なら大した距離でもないから行ってみようか……と、到着した時には土砂降り。

ところがこの小さく真新しい祠を持つ神社、高オカミ命(字が出ません)と善女竜王命を祭るそうです。
『元岩清水八幡宮』の別名があるそうで、どうやらいくつかの社が合社された結果、神社の名前と祭神が入り乱れてしまっているようです。
いずれにしても『大安寺』自体が早良親王が出家した寺ですから、ここに関係の神社があっても何ら不思議はないのですけれどね。
かくして完全に開き直った私は、一路、八島町へと向かうのでしたσ(^◇^;)
『嶋田神社』じゃ、日枝山王社でもあるまいに猿まで出てくるし、一体、私ゃ、何かからかわれてるのか、こちらの御仁に……その報告は後にでも(~_~;)
ご存知、春日大社の石灯籠春日大社は藤原永手の創建だといわれています。
国宝の本殿や回廊も有名ですが、何と言っても昔から今に至るまで、さまざまな人々によって寄進された燈籠の多さには目を見張るものがあります。
こちらには約1800基の石燈籠があるそうです。
本殿の吊り燈籠もあわせると3000を超えると聞いています。
昔は毎晩、この燈籠に火が入ったそうです。
まさに毎晩が万燈籠という状況だったそうです。
燃料の油料をまかなうための燈明田が、大和のみでなく各地にあったという事です。

さて、おびただしい石燈籠に刻まれた神社の名前なのですが、大多数は『春日社』となっています。
ところが極少数、『春日大明神』と刻まれた物があります。
この具体的な数は覚えていないのですが、総体数からするとかなり少ない事は確かです。
その一つがこの画像の物。
三十分程度、あちらこちら眺めていたところ、幾つか見つけました。
以前にこちらの権宮司さんが言っておられたのですが、一日で五基以上(三基だったかな?)見つけると良い事があるのだとか(^_^)
七~八基は見つけましたけどねぇ……一つは磨耗が激しくて良く分かりませんでしたが、他の物は確実です。
それで良い事って、何があるのかしらねぇ、楽しみにしときましょうっとσ(^◇^;)

春日の森の大王です。さて、こちらはいつぞにも紹介致しました杉の巨木です。
私は勝手に『春日の森の大王』と呼んでいますが、分かりそうで分かりにくい所にあります。
『二の鳥居』を潜ってすぐの右に入る道を進んで行くと、左側の少し高くなった辺りにありますが、木を隠すには森の中、他にも大きな木があり過ぎて、気をつけなければ行過ぎてしまうかもしれません。
そうですね、『中の禰宜道』のごく入り口辺りにあると言えば、少しは分かりやすいでしょうか。
この道をずっと南下して行くと、高畑町の『新薬師寺』の近くに出ます。
この辺に行くには、かなり近道だと思っているので、私はいつもこのコースをたどっています。

これらの写真を撮ったのは昨日の日曜日なのですが、この日も変な日だったような……
『元興寺』の地蔵盆(夕方の五時から)に行くつもりで、昼くらいに奈良についてフラフラしていたのですが、何となく春日大社に行きたくなって、上記の『石燈籠』を探し始め、ついでに『大王』に挨拶をしにいったまま、つい高畑の方まで歩いて行き、『新薬師寺』を通り越して、何気なく『白毫寺』方向に歩いて行った辺りで、小さな神社の看板を見つけ、そちらに足が向いてしまいました。
こいつが春日大社の摂社で……気が向きましたら、次はそいつの紹介でも(^_^;)
涼しいです。上り大路を挟んで、奈良国立博物館の前、色鮮やかな赤い鳥居と池があります。
鳥居にかけられた扁額は『氷室神社』、文字通り、この場所に昔々、氷室があったためにこの神社ができたようです。

ここは奈良で一番最初に開く枝垂桜の花で有名ですが、全国の製氷業者の信仰を集めている事でも名高いそうです。
その枝垂桜の木を右手に見て階段を上って門から入ると、正面に神楽殿があり、その向こうに赤い社殿が覗いています。

この画像で見るよう、この暑い盛り、屋根の上から霧を吹き、毎日、奉納された氷を神前に供え、そのお下がりを参拝者にカキ氷にして振舞ってくれます。
とてもありがたい事です(^^ゞ

手水の隣にあります。さて、タイトルにある『鷹の井戸』はこちらの画像です。
鳥居をくぐって少し進んだ右手側、手水場に並んで、このように彫られた石製の井戸枠があります。

これには『鷹乃井』とありますね。

そもそも『鷹の井戸』というのは、ウィリアム・バトラー・イェイツの戯曲です。
これが近代になって創作能として上演されるようになったのですが、あいにく私は見た事がありません。
観世流だと『鷹姫』だったでしょうか。
不老不死を求める老人と伝説など信じない若者が、鷹の乙女の守る井戸の前で鉢合わせて……
詳しいストーリーを知りません(^_^;)
これの元になったのは、どうやら謡曲の『野守』のようです。

飛火野の鹿の群れ旅の僧が“野守の鏡”の謂れについて老人に尋ねると、老人は昔話に鷹狩の鷹を見失った天皇の話をします。
「鷹は池の中にいる」
不思議に思って池を覗くと、木の枝にとまる鷹の姿が映っている……この池を“野守の鏡”と言うと、老人は語って姿を消します。
そしてその夜、僧の前には野の神が現れ、人の心を映して見せるという“野守の鏡”を示すのです。

どうも謡曲のストーリーというのは、謂れが分からないと意味不明のところがありますねσ(^◇^;)
“野守の鏡”は古来、人の心を映すものという伝承があって、謡曲にはこれも取り入れられている訳です。
そしてこの物語の舞台は、奈良の飛火野だといわれています。
“野守の鏡”の池は、今の奈良国立博物館の辺りにあったとされます。
だから、すぐそばの『氷室神社』が、謡曲の『鷹の井戸』と関連付けられたのかもしれません。

この井戸枠に『鷹乃井』の文字を刻んだ人って、お能や演劇に造詣の深い方だったのでしょうか。
それとも全然別の伝承が、この地にあるのでしょうか。
学生の頃に『春日芝能』で、この『野守』を見た事があります。
満月から何日もたたない月の明るい晩で、白頭(本来は赤頭)の後シテが大きな銀色に光る丸い鏡を掲げて舞っていたのを覚えています。
キャッチ:心のふるさと御霊神社昨日、木津川市を昼過ぎに発った後、奈良町に行きまして、『寧估庵』で暫く遊んでおりました。
新しい猫さんが、またもや増えていました。
この辺はまた後ほど報告致します。

その後、ふらりと『御霊神社』にお参りなんぞに行きました。
何せ目と鼻の先なので(^^ゞ
そこで初めて気がついたのが、この画像のような看板です。

う~~~~んんんんん、これ、ジョーク?????
そもそも「縁結び」というコンセプトからして、何かおかしくないですか?
摂社のお稲荷さんに縁結びの御利益があるらしいのですが、ここって『出世稲荷』になってるんですが……(゜.゜)?
そしてこのたびは「心のふるさと」ですか。
狛犬が複雑な顔して笑っております(@_@;)

ついでに、この狛犬の子犬時代はこちらに?(^_^;)?
若宮様の大樟さても昨日の続きです。
この画像は、春日若宮社の前にある有名な大楠です。
案内の看板によれば、県下でも一~二位を争う大きな楠で、樹高が24メートル、幹周が11,46メートルもあるという事です。
しかし数字で言いますと、先日に紹介しました奈良豆比古神社の大楠の方が、少し大きいようですね。
記録によれば享保四(1719)年の大雪で幹の上部が折れてしまい、樹高は低くなってしまったという事です。
元々は三本の木だったものが、成長に伴なってくっ付いてしまい、ここまで巨大になったようで、伝承では神功皇后のお手植えだとか(^_^;)

根元に映っている燈籠は、この画像ではそれほど大きく見えませんが、実は2メートル以上あります。
画像を大きくしていただくと、根元のところに人が二人立っておられますので、何となく分かるでしょうか。

春日の杜の大杉変わってこちらは、私が勝手に『春日の杜の大王』と呼んでいる大杉です。
春日大社二の鳥居からほんの少し逸れた所にあるのですが、木を隠すには森の中、割合に知られていないみたいです。
私はこの木が結構好きなので、ちょくちょく会いに行っては、度々、このような写真をセルフタイマーで写すのですが、大きさは分かりますでしょうか(~_~;)

木全体の姿は到底、画面には収まらないのですが、樹冠は雷でも受けたのか痛々しく枯れかけています。
そのため、太さの割には樹高はそれほど高くありません。
県内の巨樹を紹介した本などにも載っているのを見た事がないのは、もしかしたらこのためなのかもしれません。

春日山周辺の大きな木としては、県や市の指定を受けている物も含め、まだまだ沢山あります。
この辺りに限らず、また会いに行く事があれば、カテゴリーでも設けて紹介しようかなσ(^◇^;)
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HN:
うめぞー
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