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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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道に面して赤い鳥居が目立ちます。『崇道天王社』が出てきましたので、先日に行った『崇道天皇社』も。

奈良市西紀寺町40番地鎮座と、由緒を記した案内板にあります。
御祭神は当然ながら早良親王です。
『崇道天皇神社』となりますと、奈良市内には、出屋敷町、神殿町、北永井町にもあるそうです。
随分と特定の場所に集中してあるような印象を受けます。
京都には『崇道神社』があるらしいですが、どこなのか調べておりません(~_~;)
左京区の果ての方だったかな?

一の鳥居を入ると門があります。ここで今更、早良親王のプロフィールなんぞ語る気もないので、神社の様子や私の戯言でも書き連ねます。
この神社にしても『御霊神社』にしても、どうしてこんな場所にあるんでしょう。
この辺りって、どこの氏族のテリトリーになるんでしょう?

高畑から白毫寺の方に道を東に入りますと、能登川を渡ります。
この川の名前を眺めつつ思い出したのが、http://umezo.bakeinu.jp/entry/38854/
この記事で言っているような戯言です。
紀氏って連中は平城遷都後、割り合いに郊外に大きな勢力を張っていたようで、長岡遷都後にもこの辺を根城にしていたのかもしれません。
この崇道天皇社が西紀寺町にあるのも、案外、そんな事に起因しているのかもしれません。
紀氏が参議になっているのは平安初期くらいまでですから、天皇家との婚姻関係が希薄になると、やはり旧都共々忘れられて行くんだろうか……なんて事はどうでも良いかも、何せ私はこの氏族への思い入れが殆ど無くて(-_-;)

真っ赤な瑞垣が印象的です。さて、重要文化財に指定されている本殿ですが、これも春日移しです。
由緒書きによりますと、棟札に元和九(1623)年霜月四日の造営とあるそうです。
この年の春日神社式年造営により、若宮社の旧本殿を移したという、とても由緒のある古い建物だそうです。

見事な春日作りの後方の、どこぞの看板がいっそう無粋に見えますねぇ……
そういえば、ここの狛犬さんの写真も沢山撮って来たのですが、夕方で暗かったせいか手振れだらけ。
その内、もう一度撮り直して来ますか(^_^;)
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手前の燈籠に「崇道天王社」の名前が刻まれています。延喜式内社『嶋田神社』
やはり奈良市八島町にあります。
こちらの御祭神は神八井耳命早良親王とされています。
かつては八嶋陵の領域に、崇道天王社島田神社とがあって、明治時代に統合してこちらに移したのだそうです。
江戸から明治にかけて、あちらこちらで小さな社を大きな社に統合する動きはありましたから、有り触れた事にも思えるのですが、昨日の記事にあげました奇妙な石、あれも崇道天王社に関係する磐座か何からしいのですが、さすがに動かす事はできずに道の真ん中に鎮座したままらしいです。

さて、この御社は、県の指定文化財になっています。
春日移し――つまり、春日大社の第45次式年遷宮に伴ない、享保十二(1727)年に第二殿を八嶋村に譲渡したのがこれだろうとされているのですが、擬宝珠の銘は更に古いと、説明板にはありました(~_~;)
何でも慶長十八(1613)年とあるらしいです。
100年以上違うって、江戸時代ともなると差も大きいような気がするのですが。

地形の制約でもないと思うのですが、この社は西を向いて建っています。
今まで意識した事が殆どなかったのですが、社って普通はどちらを向いて建っている物でしたっけ?
職業柄、古墳の開口部は結構意識するんですけどねぇ……
木を隠すなら森の中、外からは殆ど分かりません。奈良豆比古神社に行って、この大樟を見なければモグリです?
奈良県の天然記念物に指定されている、樹齢1000年余りの巨木です。
根元の周囲は、12,8メートル、樹高は30メートル、枝は20メートルほどに大きく張られた、見事な物です。
しかし、この写真では比較する物がないので、全然大きさが分かりませんねぇ(-_-;)

この木ですが、境内に入ってもどこにあるのやら……
実は神社の裏手の窪地に立っています。
この窪地が寒々しくて怖いという方が時々おられますが、確かに日が当たらずにひっそりと静まり返っていて、何かが潜んでいそうな気も致します。

堂々たる幹周りと枝振りです。しかし私にとって、この木自体は全く怖いとは感じません。
それでも如何せん古木という事で、いつ枯れ枝などが振ってくるかは保障できないと、木下には入らないで下さいという立て札があります。

実はこの木、窪地の真ん中に生えている訳ではなく、途中の斜面から斜めに根を下ろしているという具合です。
それなので、斜面の方からは、すぐ側まで行く事ができます。
樟は常緑樹ですが、五月くらいに新しい葉が出て来るので、しきりに落葉します。
次はこの頃に行ってみようかと思っています。
初夏に行けば、アオスジアゲハが産卵に来ているかもしれません。

ところで何の御守だったっけ?あいにくの雨の日、晴れていても薄暗い窪地は、更に暗く寒かったです。
雨に濡れて、赤い社の色がいっそう映えていた日です。
こちらの神社はとりあえずここまで、気が向いたらあと二対の狛犬さんもUP致します。

ところで、ここで買ったお守りは何のご利益があるのかしら(~_~;)
まぁ、開運かな?
いずれにしても私と志貴親王は腐れ縁??
石の扁額です。奈良坂町の氏神の『奈良豆比古神社』は、『奈良坂春日社』とも呼ばれ、春日大社との関わりも深いとされています。

こちらの神社は、県の無形文化財に指定された『翁舞』で特に有名です。
私は二度ほど見た事があるのですが、プロの能楽師や狂言師による三番叟を見慣れているせいか、地方芸能化した野趣にとんだ舞に見えた事を覚えています。
しかし、本来の翁や三番叟のルーツがこちらだとも言いますし、さてこの辺は如何なものなのでしょう。
この舞の謂れを随分以前に調べていて、春日王の二人の息子の名前に引っかかったのもよく憶えています。
右の舞台で『翁舞』が奉納されます。
そもそもこの神社には三つの社があり、三人の御祭神が居られます。
中央の社には“平城津彦神”、右の社には“志貴親王”、左の社には“春日王”となっています。
それぞれの祭神の考察はとりあえず置いておきまして、どうして翁舞が始まったかを調べてみますと、春日王が病気になった時に二人の息子、浄人王安貴王が舞を奉納する事によって平癒を願った事からなのだそうです。
確かこちらでは、三人の、白い顔の太夫、黒い顔の三番叟などの面をつけた舞があったはずです。
20年に一度、社は建て替えられるそうです。浄人王の舞がこちらの芸能のルーツなのであれば、太夫とは浄人の事なのかもしれません。
そしてどの資料にあったのか忘れましたが、安貴王の別名を黒人ともいうそうで、これがもしかしたら三番叟なのかしらとも思った訳です。
これらの戯言、それこそ学生時代に考えた事ですので、かなりいい加減なところも多いと思います。

しかしこの辺から私特有の大枚妄想が始まる訳でして、安貴王(この人の名前は、続日本紀にも出てきます)が黒人ならば、浄人王は白壁か???
ちょっと待て、白壁王は春日王の息子ではなくて弟だろう……
両親に早く死なれた末っ子は、長兄の元で育つという戯言は、ここから始まっている訳なんですねσ(^◇^;)

それじゃ三人の翁ってのは誰の事なのさ?
そりゃ、三人の兄?
いや、長兄は病気平癒を願われている本人でしょうに……
それじゃ、小うるさい三人(本当は四人いる)の姉だったりして(ーー;)
かくして、意味不明の戯言になったので、神社の話の続きは明日にでも(・.・;)
博物館で三時間半も遊んでいたので、奈良町に行ったのは四時近くです。
ちょっと分かり難い場所にあります。もちいどのアーケードを抜けて更に南下、細い路地を右に入ると『鎮宅霊符神社』があります。
場所は陰陽町、御祭神は天之御中主神
「不動の天帝 北極星の神霊であろうとされている。宇宙創造神、又、神仏習合説、妙見信仰の神」と、パソコンで打ったらしい由緒書にありました。
こちらには、とってもユニークな狛犬さんがいるのでちょっと有名です。
こいつは、別項にて紹介します。

奈良町の産土神だそうです。そして私には馴染みの『御霊神社』さん。
今日も厳しい顔の狛犬が出迎えてくれました。
この画像では鳥居にちょうど隠れているのですが、御霊さんを祭っているにもかかわらず、「えんむすびの神さま」というのぼりが掛けられているんですね。
う~ん、誰が一体、誰と誰の縁を取り持ってくれるのでしょうか……
早良親王でも他戸親王でもなく、本殿の事代主命でしょうか。
私としては、井上皇后だとは絶対に思いません……(-_-;)

ここ、見落としやすいです……そして更に南へ行くと東西のバス通りに出ます。
その道の北側に本当にひっそりとあるのが『井上神社』です。
由緒書きも何も無いので、どういう経緯でここに井上皇后(光仁天皇の皇后・聖武天皇の内親王)が祀られているのか分かりませんが、昔に見たときよりも、更に寂れた雰囲気のような……
門に鍵が掛かっているようなので、歩道から覗いて手を合わせておりました。

こちらの本殿は重要文化財。そこから東に少し行くと、道路の南側奥に『崇道天皇社』があります。
語祭神はもちろん早良親王こと崇道天皇(追号)です。
由緒書によれば、平城天皇大同元年にこちらに社を建てたのが始まりだそうです。
御霊神社桓武天皇勅願とされているので、こちらの方が新しいという事なのでしょうが、どうしてこうも至近距離に同じ方を祭る社があるものなのでしょう。
まあ、あの平城天皇の事ですから、親父のやった事は気に入らなかったのでしょう……(ーー;)ちゅうよりも、よっぽど怖かったんでしょうか、叔父上が。

ここで引き返して再び奈良町へ。
元興寺の門前の酒屋さんに行きますと、お店の前で御酒やワインが格安で飲めますので、電車で観光に来ている方は是非どうぞ!
私は空きっ腹にワインを引っ掛けて、『カフェたまき』で酔い醒ましがてらに夕食のカレーを頂いておりましたσ(^◇^;)
この日は朝から晴天朝の9時からどこに行こうとしたのかと申しますと、昨夜のNHKのニュースでもやっていた『新薬師寺』の発掘現場公開です。
現地説明会ではありません、念のため言っておきますと(^_^;)
話題性はすごく大きいのですが、遺構の残りは困ったくらい悪い……この四角いコンクリートの基礎って何?ってな具合ですね。
まぁ、難波宮よりはマシかしら???
そっちの写真はいずれ改めて上げるかもしれないし、放って置くかもしれないし(^^ゞ

そして、この建物は何?という事になるのですが、現場見学に行くのに奈良町を突っ切って行ったところ、何となく立ち寄った『御霊神社』です。
こちらは半年前に写した写真です。割り合いに行き易い場所にあるので、私はしょっちゅう行っています。
こちらの画像を御覧になって頂けば、どういう神社かは一目瞭然?????
別に京都だけに、この神社がある訳ではなく、奈良にも割り合いに多いです。
特に五條市には、二十数社もあるのが信仰の奇妙さを感じます。
ところで以前から何となく気になっているのが、この神社の御例祭の日って、光仁天皇の誕生日(当然ながら旧暦ですが)なんですよね……意味があるの?単なる偶然??

しかし、朝の十時にこんなところに行っても何という訳でもないのですが……何となく横を通ったら「今日は寄ってかないのか?」と聞かれた(誰に?)様な気がしまして、ついつい、西の門からふらりと入ってしまいましたσ(^◇^;)
ちなみにこの狛犬は、南門の鳥居の前に鎮座してます。
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