×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
『崇道天王社』が出てきましたので、先日に行った『崇道天皇社』も。
奈良市西紀寺町40番地鎮座と、由緒を記した案内板にあります。
御祭神は当然ながら早良親王です。
『崇道天皇神社』となりますと、奈良市内には、出屋敷町、神殿町、北永井町にもあるそうです。
随分と特定の場所に集中してあるような印象を受けます。
京都には『崇道神社』があるらしいですが、どこなのか調べておりません(~_~;)
左京区の果ての方だったかな?
ここで今更、早良親王のプロフィールなんぞ語る気もないので、神社の様子や私の戯言でも書き連ねます。
この神社にしても『御霊神社』にしても、どうしてこんな場所にあるんでしょう。
この辺りって、どこの氏族のテリトリーになるんでしょう?
高畑から白毫寺の方に道を東に入りますと、能登川を渡ります。
この川の名前を眺めつつ思い出したのが、http://umezo.bakeinu.jp/entry/38854/
この記事で言っているような戯言です。
紀氏って連中は平城遷都後、割り合いに郊外に大きな勢力を張っていたようで、長岡遷都後にもこの辺を根城にしていたのかもしれません。
この崇道天皇社が西紀寺町にあるのも、案外、そんな事に起因しているのかもしれません。
紀氏が参議になっているのは平安初期くらいまでですから、天皇家との婚姻関係が希薄になると、やはり旧都共々忘れられて行くんだろうか……なんて事はどうでも良いかも、何せ私はこの氏族への思い入れが殆ど無くて(-_-;)
さて、重要文化財に指定されている本殿ですが、これも春日移しです。
由緒書きによりますと、棟札に元和九(1623)年霜月四日の造営とあるそうです。
この年の春日神社式年造営により、若宮社の旧本殿を移したという、とても由緒のある古い建物だそうです。
見事な春日作りの後方の、どこぞの看板がいっそう無粋に見えますねぇ……
そういえば、ここの狛犬さんの写真も沢山撮って来たのですが、夕方で暗かったせいか手振れだらけ。
その内、もう一度撮り直して来ますか(^_^;)
奈良市西紀寺町40番地鎮座と、由緒を記した案内板にあります。
御祭神は当然ながら早良親王です。
『崇道天皇神社』となりますと、奈良市内には、出屋敷町、神殿町、北永井町にもあるそうです。
随分と特定の場所に集中してあるような印象を受けます。
京都には『崇道神社』があるらしいですが、どこなのか調べておりません(~_~;)
左京区の果ての方だったかな?
ここで今更、早良親王のプロフィールなんぞ語る気もないので、神社の様子や私の戯言でも書き連ねます。
この神社にしても『御霊神社』にしても、どうしてこんな場所にあるんでしょう。
この辺りって、どこの氏族のテリトリーになるんでしょう?
高畑から白毫寺の方に道を東に入りますと、能登川を渡ります。
この川の名前を眺めつつ思い出したのが、http://umezo.bakeinu.jp/entry/38854/
この記事で言っているような戯言です。
紀氏って連中は平城遷都後、割り合いに郊外に大きな勢力を張っていたようで、長岡遷都後にもこの辺を根城にしていたのかもしれません。
この崇道天皇社が西紀寺町にあるのも、案外、そんな事に起因しているのかもしれません。
紀氏が参議になっているのは平安初期くらいまでですから、天皇家との婚姻関係が希薄になると、やはり旧都共々忘れられて行くんだろうか……なんて事はどうでも良いかも、何せ私はこの氏族への思い入れが殆ど無くて(-_-;)
さて、重要文化財に指定されている本殿ですが、これも春日移しです。
由緒書きによりますと、棟札に元和九(1623)年霜月四日の造営とあるそうです。
この年の春日神社式年造営により、若宮社の旧本殿を移したという、とても由緒のある古い建物だそうです。
見事な春日作りの後方の、どこぞの看板がいっそう無粋に見えますねぇ……
そういえば、ここの狛犬さんの写真も沢山撮って来たのですが、夕方で暗かったせいか手振れだらけ。
その内、もう一度撮り直して来ますか(^_^;)
PR
この記事へのコメント