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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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鳥の囀りの絶えない、霧の山陵奈良市八島町『崇道天皇八嶋陵

『日本後紀』によれば、延暦十九年七月二十三日、故皇太子早良親王を崇道天皇と追称し、故廃皇后井上内親王を皇后と復称し、それらの墓を山陵と称せよと、詔が出されます。

この時の早良親王の墓所は淡路国にあったのですが、別の史料によればそれ以前の延暦十七年に、淡路から大和への改葬がなされたとも書かれています。
これに当たったのが、伊予国に配流中の五百枝王(甥に当たります)なのですが、どういう訳かそこでは参議と書かれているようで、この辺の混乱は何によるものやら、年月が間違っているという程度なのでしょうか?
いずれにせよ、いつここに早良親王がやって来たのかは分かりません。
大体、この内容はどこに書かれているんだっけ?
この時代をまだ書くところまで行っていないので、私は史料その物に当たっていないんですよ……うろ覚えはいい加減にせいって(ーー゛)

この奇妙な御陵は、このように白い壁で囲まれ、門も閉ざされています。
その門の向こうに白木の鳥居が覗いているのですが、どうしてこのような姿をしているのでしょう。
勿論ここを早良親王の墓所に比定して整備したのは明治以降なのですが、時の書陵部も怨霊云々に過敏になってでもいたのかしら??
『前池』という池らしい……御陵前池?
それにしても以前から奇妙に思っている、これは一体何なのでしょう?
御陵と前池の間の道に、このような石が露出した場所があり、道の下は水門か何かになっているようなのですが?
まぁ、こいつがあるので、この部分は道が広くなっていて、車を止めるのにちょうど良いのですけれど。

雨の上がった後は霧……この御仁に私は警戒でもされているんだろうか?
私ゃ、この御仁を怨霊なんぞに書こうという気は更々ないんだが……
それでも次は、『嶋田神社』へ(・.・;)
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