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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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今朝(既に昨日だ)の新聞の一面に、滋賀県甲賀市の宮町遺跡の調査成果が載っておりました。
それにしても広々と調査区を開けたものです。
確かに何年か前に行った時、あの場所は一面の田んぼでしたから、農閑期の今ならば調査も可能でしょうか。
既にこの遺跡、国の史跡に指定されているから、調査範囲は全面買い上げという事になるのかな?
それにしても調査は、県ではなくて市教委で行っているんですね、珍しい事に。

それはともかく、宮町遺跡はほぼ聖武天皇の紫香楽宮という事で落ち着いております。
ここにしても恭仁宮にしても、突貫工事も良いところなので、正方位から微妙にずれているのが、何やらお粗末ですか……瓦の出土も殆どないみたいだし(恭仁の大極殿は別ですが)(゜.゜)
そして、内郭部にペアの建物という構造も同じと、新聞は妙に強調しております。

しかしですよ、研究者の多くは、やはり紫香楽宮(甲賀宮)は都だと考えているのですかねぇ?
この建物配置、離宮と違いますの??
単に面積が狭いから、あのような構造になったという事なの???

私は、甲賀寺あっての紫香楽宮だと思っているので、ここは離宮だと考えているんですよ。
聖武天皇としては、甲賀寺に未曾有の仏を造営するまで、この地と恭仁なり難波なりを行き来するつもりで、離宮を造営させたのではないのかと。
まずは寺の建立を腰を落ち着けて見守るために、長期滞在可能な離宮を造らせたのかもしれません。
都を恭仁か難波に定めて(この頃は、平城は既に眼中にない……)、甲賀寺完成の後は、仏都としての離宮を更にグレードアップするくらいのプランは持っていたと思うのですけどね。
まぁ、私が以前に書いていた話のベースになる考えですので、確証はと突っ込まれると、どこまで言えるものがあるのやら……

現地説明会、日曜日ですか……十中十まで用事があって行けないのですが・゚・(ノД`;)・゚・
まぁ、資料はネットでダウンロードできるかな。
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