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そのように語っていたのは、我等(?)が大覚寺統のホープ、世康親王でしたか。
後期南北朝の頃には、大覚寺統は再び吉野に御所を構えていたので、京の都の人々が吉野に詣でるのは、いうなれば反逆罪に等しい行為、花を詠むと吉野の桜でもめでようものならば、同等に見られても仕方がない、そういう状況だったはずです。
大和の生まれなのに吉野の桜など知らないという三郎(後の世阿弥元清)に、吉野の宮から抜け抜けと京にやって来た親王がこのように言うシーンが、昔書いていた話の中にあったはずです。
歴史モノに其の手の事(って、だから何なの?)を書かないとか申しましたが、この話は例外も良いところで、結構そういう(どういう?)事を書いていたような気が致します。
ここ何日か、血迷ったような事を平気で書いているので、もう一つついでに戯けた事でもほざいてみましょうか。
と笑う親王を十八歳になる三郎が、答える代わりに押し倒した揚句、
「どうも其方は、立場が分かっておらぬようだ」
と逆に押し返されて位置が逆転したところに、
「細川よりの使者が参りました」
と、襖の外から声がかかる……一体、何のシーンなんだ、こりゃ(*_*;
確か、世康親王という人は全くのノーマルで、18~9歳の時にさっさと結婚して娘がいるような人でしたっけ。
そしてある種の頭のネジが緩んでいるのか抜けているのか、周囲の野郎どもからそういう(だから、どういう?)目で見られてもほぼ気がついていないのか、あえて無視をしているのか……
まぁ、こういうヤツを臆面なく書いておりましたが、今現在書いているような話には、絶対に出てこないシーンですわ。
何せキャストがいないσ(^◇^;)
掴み合いの喧嘩ならばしてくれるような輩は、いくらでもいるんですけどね。
山部親王なんて、どう見ても体育会系だなぁ……一応、武道系よ。
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