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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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東大寺の毘盧舎那仏よりも以前に、最大クラスの金銅仏といったらどのような例があるのかと、昨日来考えておりました。

飛鳥寺の釈迦如来から始まって、山田寺の仏頭だの、法隆寺の釈迦三尊仏だの、薬師寺の薬師三尊像などが思い出せたのですが、大きくても丈六仏のサイズでしょうか。
一丈六尺(約4.8メートル)といっても、立ち上がった時の高さがそれなので、坐像は約半分、2.5メートル前後というところでしょうか。
立像としては、薬師寺の日光、月光菩薩で3メートルくらいでしょうか。
何せこの時代、銅を調達するのが一苦労どころの騒ぎじゃないでしょうから、仏師が丈六仏を造るとしても、塑像だったり乾漆像だったり、木彫像あたりが多くなるでしょう。

役の行者?聖武天皇が未だかつて無いほどの巨大な尊像を造ろうと考えた時、どうして五丈を越えるサイズがいきなり出て来たのか、こいつをまた考えておりました。

まぁ、一番よく言われるのは、唐帰りをひけらかす玄昉とかいうろくでもない坊主がいて、唐の洛陽郊外にある石窟寺院の話をして云々……要するに龍門石窟の毘盧舎那仏石造のサイズを意識したのではないかという説が有力です。
世界遺産にもなっている、武即天をモデルにしたという伝承のある磨崖仏ですね。
これが確か、17メートルを超えていたと思うので、15メートルを超えていたという奈良時代の東大寺毘盧舎那仏に匹敵する訳です。

しかし、石窟寺院ですから岩壁を掘りぬいている訳で、東大寺のように平らな場所に基壇を築いて、そこに骨組みになる柱を立てて、土や何かを盛り上げて型となる像を作って……というような工程とはかなり違うんですよね。

2~3メートルの像や梵鐘くらいしか造っていなかった技術者達に、いきなり15メートルの大仏を造れと命じる過程は、果たしてどういうものだったのやら、今度はそれが分からなくなって来ます……(゜.゜)
かの国中公麻呂も、理屈としては八回程度に分けて鋳造して行けば可能と判断したにしても、決断するまでにどれだけの紆余曲折があったんでしょう(・・?
実際に始めたら、その何十倍何百倍もの困難があったのでしょうけど……
この時期の二官八省その他の人事を、もう一度検討してみないとなぁ(゜_゜>)

今日の画像は、職場の近くにある石仏で、高さはせいぜい40センチ程度です。
チョイト見難い場所にあるので、歩きながら変な御地蔵様があると眺めていたのですが、立ち止まって見直してみれば、こりゃ、役行者像ですね……?(゚_。)?(。_゚)?

二宮金次郎さんです。丈六の金銅仏といえば、次の日曜日(15日)に京都府の木津川市で『国宝 蟹満寺釈迦如来坐像の再検討』というシンポジウムがあるんですね。
行こうかな~と思っていたのですが、この日は春日大社の国宝の大鎧の修復が終わったので、記念の講演会もあって、そっちに随分前から申し込んでいたのでした……
さて、どちらに行くべきか……蟹満寺の方は10時に始まるので、家を出るのが平日と変わらない(゜_゜)
少しでも寝坊したら、春日大社だわねε-( ̄ヘ ̄)┌

こちらの画像は石像つながり(?)で、今時珍しい二宮尊徳こと金次郎さんです。
現代バージョンにしたら、本の替わりにスマホいじってる像になるのかな( ̄▽ ̄)。o0○


 

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