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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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 今年も橿原神宮の百々手式を見に行って参りました。
本当にこのブログに上がっている画像は、着物を着た人か作業服姿が多いですが、本日も直垂や水干だらけですσ(^◇^;)

今日は早朝までは雨、割合に早い時刻には止み、次第に晴れてきて、午後には晴天で暑いくらいになりました。
儀式中も薄曇程度で風もなく、いつになく暖かかったのでトラブルは無いかなと思いきや……スピーカーの状態が良くないようで、解説の声があまり聞き取れません(゜-゜)
ともあれ、蟇目の儀です。

そして百々手式の前弓

後弓です。
一瞬、同じ画像かと我ながら思ってしまいましたが、射手の人達が変わっています。
昨年までは七人くらいで三つのグループに分かれていましたが、今年は二グループ十人が見事に並びました。
やはり、これだけの人数が並んで射ると、とても爽快な眺めです。

それにしても、今年は随分と急ぎ気味に次第が進んだような?n(ー_ー?)ン?
何でも、この後に結婚式が控えているとかで、時間が少々押しているとか(^_^;)
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ようやく走舞まで来ました(^_^;)
最初の舞は、日中に行われた競馬の勝敗によって決まります。
今年は右方が勝ったそうで、『納曽利(なそり)』が先に奉納されました。

現在では勝負舞は、競馬による『蘭陵王(らんりょうおう)』と『納曽利』だけですが、かつては流鏑馬の勝敗で『散手(さんじゅ)』と『貴徳(きとく)』、相撲の勝敗で『抜頭(ばとう)』と『落蹲(らくそん)』の順番が決まったそうです。

そして『蘭陵王

今年は舞楽の舞人がかなり入れ替わっていると聞きましたが、この二曲もそうなのだと思います。
『納曽利』は昨年までのベテランの方に比べ、まだ慣れておられないという感じでしたが、これから大いに期待したいです。
『蘭陵王』の舞人は、よく平舞で一臈を務めている方だと思いますが、やはり御見事(^_^)v
左方舞らしく切れが良いです。

散手
この長く重く難しい舞を務めているのは、ここ最近は春日大社の藤岡禰宜です。
大柄な方なので、実に迫力があります。

貴徳
今年の舞人は、やはり春日大社の千鳥権禰宜。
『延喜楽』も『長保楽』も舞われておられましたので大活躍ですね(^。^)

 『抜頭

 『落蹲
どちらの舞も若い方々が勤めておられるそうですが、舞台の雰囲気に負けずに舞っておられたと思います。

それにしても、いずれの画像も見るも無残ですみません……もう少し良いカメラで写せば画像だけはクリアになると思うのですが、腕はまぁ、如何し難いかなσ(^◇^;)

そして『落蹲』が終わるや否や、芝生席からは退去を願いますという事になり、『還幸の儀』の準備に入ります。
学生の頃には泊りがけで来ていたので、何度か若宮社までお供をさせて頂いたのですが、今では終電との争い?のため、若宮様よろしく17日中に家に戻っております。
それにしても今年も寒かったですが、雨にも風にもたたられず幸いでした。
変わって翌日は雨天、子供達の奉納相撲は中止で、『後宴能』は室内で行われたそうです。
 舞楽は『振鉾(えんぶ』から始まります。
三節目なので左右の舞人がいるのですが、陣取っていた所があまりに舞台の真横だったので、右方の方しか写っていない状態ですね(・.・;)

この後、『萬歳楽(まんざいらく)』、『延喜楽(えんぎらく)』と続くのですが、画像はシッチャカメッチャかのブレまくりなので省略……(・_・)
いずれも頻繁に行われる舞なので、このブログのどこかに画像はあります……オ(--〆)イ(ーー;)ッ

 さて、これは『賀殿(かてん)』です。
優雅な印象の平舞の内でも、曲も舞いもテンポ良く変化も大きい、なかなかに男性的な舞だと私は思っております。
ところで奇妙な事に、出手(ずリて)もなしにワラワラと舞人四人が続けざまに登場してポジションに着き、いきなり破の舞が始まりました。
こういう省略の仕方は以前にも見た事があるのですが、時間短縮のために行われるのでしょうか。
そして退出時も、ソサクサと去って行きました……(^_^;)入手、あった?

 『長保楽(ちょうぼうらく)』……こちらも出手は省略
ちなみに昨年は『地久(ちきゅう)』が奉納されまして、この二つの舞は隔年で行われる事になっているそうです。
今までに何度かほざいておりますが、南都楽所の蛮絵装束は左右とも綺麗です。
左方はややくすみ気味の金茶色、右方は深めの縹色(はなだいろ)の生地に、刺繍で対の獅子が刺繍されています。

舞人のメンバーを拝するに、身長や体形、風貌(?)なども写り良く揃っているように拝察致します。
さすがはおん祭です、などと、周囲の方々と駄弁っておりました。
このように平舞はベテランや中堅の人達が御奉仕されているのですが、後半の走舞のメンバーがかなり交替しているという事でした。

走舞の前に『和舞(やまとまい)』が行われます。
『神主舞』(二人舞)が一曲と、『諸司舞』(四人舞)が二曲奉納されます。
これは諸司舞ですね。
前に下がるものを払うような、この所作、今までも何度も見ているはずなのですが、これが何段かと問われると、さて……四段以降です、片袖脱いでますからσ(^◇^;)

相変わらずいい加減なまま続く……(^_^)/~
四時くらいになりますと、今の季節はチョッと薄暗く感じられます。
今年の12月17日は一日中曇りだったので、急に日が翳ったという印象もなかったですが、篝に火が入ると暗さを少しばかり実感します。

お旅所祭の二番目の芸能は『東遊(あづまあそび)』です。
保存会の会員になっていますと、ここから芝舞台の横のエリアに陣取って見る事が出来ます。
再三申しますが、春日大社での『東遊』は男の子達によって舞われます。

「や 宇渡浜に 駿河なる宇渡浜に 打ち寄する波は 七種の妹 言こそ佳し」
この駿河歌一段の最後の部分で四人の舞人が登場し、舞は二段より始まります。
「言こそ佳し 七種の妹は 言こそ佳し 逢える時 いささは寝なんや 七種の妹 言こそ佳し」

駿河歌の後、『加太於呂志音取(かたおろしのねとり)』という曲で退出して右袖を脱ぎ、『求子歌出(もとめごのうただし)』という曲で再登場します。

「千早振る 春日の山のみかさ松 あはれれん れれんやれれんや れれんやれん あはれのみかさ松」

求子歌の最初の「春日の山のみかさ松」という部分は所により歌詞が変わるようです。
葵祭の時には「鴨の社の姫小松」でしたか、下鴨神社に歌碑か何かがあったような( ̄∇ ̄;)

三番目は『田楽』

四番目は『細男(せいのお)

五番目は『神楽式』
翁役が、今年から若い方に変わっています。
この時間になると、完全に日が暮れています。
これらの説明は一昨年の記事とダブるので、興味のある方はそちらを参照にして下さい(--〆)おいっ

このように横着をして続く……m(__)m
おん祭が終わって4日の22日、春日大社の『いのちと心の講座』で、御仮殿の公開が行われました。
講座は事前にレクチャーで詳しい解説がありまして、実際に現地で本物を見て頂きましょうという流れです。

御仮殿は、御子神様が一日限りお住まいになる社殿です。
本来ならば祭が終わり次第、解体が始まるのですが、今回は講座の為に特別に解体を延長したという事です。

形は御本殿と同じ春日造りですが、比べてみると、かなり特異な建築物だという事が分かるそうです。
この画像で見ますと、階段や高欄が全て菰で覆われていますが、これのはっきりとした意味は分からないという事でした。
お旅所での祭事は夜間に行われるため、安全のため、クッションの役目を果たしているのかもしれないと神職さんがおっしゃっていました。

使っている部材は殆どが松材だそうで、柱は皮のついたままの黒木、屋根も松葉で葺かれています。
それぞれの柱や梁は臍(ほぞ)で組んで行きますが、屋根の垂木の先端は、藁縄で梁や桁に結び付けられています。
かつてはこれらの部材を毎年新調していたのですが、今は何年か使いまわしていて、現在の物は平成15年から使用しているそうです。
松は神聖な木として認識されているうえに、成長も早く群生し、割合に入手しやすいようで、毎年、大和国内の社領より、当番を決めて献上されていたようです。
また、建物周囲の生垣には、ナギの枝葉が使用されています。
春日山にはナギの群生があって、こちらでは神様の木として、榊以上に使用される例が見受けられます。

これは屋根の正面の様子。
杉の板で下葺きをした上から、横に渡した割り竹の間に松の葉を挟んで葺いています。
御仮殿を離れて見た時、とにかく目立つのが、このボサボサとした緑色の屋根です。
松葉で見えませんが、屋根の上には勝男木が渡され、黒木の千木を釘で固定しています。
懸魚(けぎょ)は彫刻されていない六家系の板を、二本の木で押さえているという、極めてシンプルな作りですが、春日造りの様式はしっかり押さえています。

正面からでは割合に見えないのが、横の土壁の部分です。
竹を組んだ上から、外側だけ土を塗った荒壁に、漆喰で三角形を並べています。
龍神や蛇神を示す鱗紋かとも思われますが、江戸時代の絵図を見ると、このようなはっきりとした三角形が現されているものはなく、近年に始められた装飾のようです。

ちなみに内部には土は塗られず、麻布を下げて、床には菰を敷いてあるという事。
仮の建物なので、前面には扉がありません。
お祭の時には御簾を下げ、鏡を三面掲げて、軒には樅の枝を掲げます。
樅の枝はこの時も掲げたままになっていました(二枚目の画像で分かりますか?)

春日大社の講座、今年は大晦日の大祓に関してが最後です。
新年も21日の旬祭講話から始まるそうで、来年も色々お世話になる事かと期待している次第です。
お渡り式の行列は十三時くらいに春日大社の一の鳥居に到着します。
鳥居を入った南側(右側)の高い位置には、影向の松(ようごうのまつ)が生えています。
この下には頭屋児(とうやのちご)と呼ばれる二人の子供が、神様のお使いとして松の下式を見守っています。
これは昨年の画像ですが、中央に見えている白い衣被をかぶった子供たちが稚児です。
この子達は、地面に足を着いてはいけないので、手前に写っている男性に肩車をされて、松の下を出入りします。

 
先行行列に続き入って来た日使(ひのつかい)の一行は、影向の松に向かって整列します。
日使赤い衣の陪従(べいじゅう)を二人従えています。
この人たちは南都楽所の楽人で、ここで短い曲を演奏します。
この儀式の間、続く巫女たちは鳥居の手前で待機しています。

  巫女の後の細男座(せいのおざ)の人たちも、笛や鼓を奏し、袖で顔を隠して拝礼します。

  続いては猿楽座、一同整列した後、「開口(かいこう)」「弓矢立合(ゆみやたちあい)」「三笠風流(みかさふりゅう)」という舞の奉納を行ないます。
これが案外時間がかかりまして、この間に続く人たちは、興福寺の側に折れて待機させられるようです。
猿楽の人たちは、松の下式を終えた後、お旅所の入り口で「埒明け(らちあけ)」の儀式を行ないます。
金春太夫が埒を閉じていた紐を切るのだそうですが、未だ見た事がありません(-_-;)

何故かと言えば、つい暢気に田楽座の様子を眺めているからですσ(^◇^;)
この後の行列は大名行列まで続き、かつてはその後で招待された他県など芸能者による奉納もあったのですが、最近は宝蔵院流鑓術の演武が行われていると聞いています。

更には流鏑馬の稚児たちもお旅所から一の鳥居まで戻り、稚児流鏑馬の奉納も行ってくれます。
これが十四時半くらい、お旅所では既に神事が始まっていて、私は昨年も今年もこちらを眺めておりました。
神事の流れは、基本、神様に御食事を献上し、宮司が幣帛を奉って祝詞を上げ、次に日使が奉幣をした後は、参列者による玉串奉納と続きます。
この間も、お渡りを終えた芸能者らが次々とお旅所に入って来て、拝礼をして持ち場へと去って行きます。
最後は流鏑馬を終えた子供たちと、演武を終えた鑓術の方々でしたか。

こうして、十五時半くらいよりお旅所祭が始まります。
 12月17日に行われました『春日若宮おん祭』のお渡り式の様子です。
今までも何度か書いておりますが、若宮社の御子神様は17日だけ御社を出て、お旅所神遊びをします。
日付が変わる頃に御本殿を出御、これが遷幸の儀で、お旅所の御仮殿に入られた後は暁祭で、朝餉の御前を供え神楽を奉納します。
この後、朝九時に本殿祭で祭の無事を祈り、正午よりお渡り式が行われます。

この式は、夕刻より始まるお旅所祭に奉仕する諸芸人がそれぞれに身なりを整えて、お旅所へと向かう様子を示しています。
参列の人々は県庁前の登り大路園地に集合し、ここから行列は出発します。

まずは現在のお祭りを執行する役員の人たちの、前行行列が出発します。
この女性は今年から加わった勾当内侍(こうとうのないし)、市議会の副議長だとか。
この後には、榊車壷装束の女性達、騎馬の奈良市長やおん祭保存会の会長などが続きます。

そして本来の行列、第一番は日使(ひのつかい)を中心とした一行で、先頭は白い祝御幣(いわいのごへい)梅白枝(うめのずばえ)、更に五色の御幣、馬に乗った十列児(とおつらのちご)、名前は十列ですが4人で、お旅所祭では『東遊』を舞う男の子たちです。
そしてこの黒い束帯の方が日使、今年は三菱UFJフィナンシャル・グループの沖原隆宗会長です。
平安時代、関白の藤原忠通が祭りに向かう途中に具合が悪くなり、付き従っていた楽人の一人が代理を務めた事より始まるとされていますが、現在は財界著名人が勤めておられます。

第二番は巫女が六人続きます。
最後の二人が拝殿八乙女(はいでんのやおとめ)と呼ばれ、春日大社の御巫(みかんこ)さんが勤めています。

 
第三番「細男(せいのお)相撲」、
第四番「猿楽」、
第五番「田楽」、
第六番「馬長児(ばちょうのちご)」、
第七番「競馬」、
第八番「流鏑馬」、
第九番「将馬(いさせうま)」、
第十番「野太刀」、
第十一番「大和士(やまとざむらい)」、
第十二番「大名行列」と続きます。

こちらの画像は、流鏑馬の稚児に従う騎馬武者と、最後の大名行列(多分、郡山藩)です。
大名行列で担がれている駕籠ですが、いつもは人は乗らずに備品などを入れておくようですが、今年の南都奉行の駕籠には、昨年の日使を務めた岩谷産業の会長が、御奉行役で乗っておられました。
担ぐ人も乗る人も、かなり大変かも……

登り大路を西に向かう一行は、油阪の交差点で南に向かい、JR奈良駅前から三条通に入って東に進路をかえて、興福寺南大門で交名の儀を行い、一の鳥居から境内に入ってきます。
そして有名な影向の松(ようごうのまつ)の下で、松の下式が行なわれます。
今年も『春日若宮おん祭』が始まりました。
奈良では一年の締めくくりとなる一番華やかな御祭で、本日15日は昼過ぎから『大宿所詣(おおしゅくしょもうで)』が行なわれます。
行列はJR奈良駅を出発、太鼓に先導されて、先頭は観光大使とミス奈良が花を添えていますが、一行のヒロインは四人の巫女です。

 
錦旗に続いて楽人、その後から輿に乗った巫女がやって来ます。
まずは辰市神子(たついちのみこ)、そして八嶋神子(やしまのみこ)、郷神子(ごうのみこ)、奈良神子(ならのみこ)と続き、最後は誰も乗っていない車が牽かれて行きました。
この神子たちは春日大社の本職の巫女さんではなく、各地域の決まった家から選ばれる、未婚の女性だそうです。
そして輿を担ぐ白丁は、航空自衛隊幹部学校の方々だとか。

詣での列は三条通から東向きアーケードに入り、北の通りも抜けて折り返し、小西通を通って14時過ぎ、『大宿所』に入って来ます。
『大宿所』とは、おん祭を差配した『大和士(やまとざむらい)』たちが潔斎とお篭りをした場所なのだとか。
この画像は、大宿所に供えられた『懸鳥』です。
かつては大和国内の大名が、兎や狸といった狩の獲物の奉納したのだそうです。

  夕方17時から神職らによって『大宿所祭』が行なわれますが、それに先だって『御湯立』の御祓いが行なわれるのが有名です。
実は私、この神事を実際に見るのは初めてです(^_^)v
御湯立に御奉仕する巫女さんは、出る家が決まっていて、今では大和郡山のこの女性だけという事です。
煮えたぎった湯で場を清めた後は、参列者もお清めを受けます。
後で知ったのですが、ここで使う御湯にはご利益があるとかで、容器を持参するといただけるのだとか。
そして、巫女さんが腰に巻いている藁綱は安産にご利益があるとも言っていました。

明日は宵宮祭、大和士と田楽の奉仕者方々の若宮社詣でも行なわれます。
そして17日が祭の本番、御旅所祭、翌日の相撲奉納と後宴の能をもっておん祭は終了となる予定です。
今年も寒いし天気も少し不安気味、さて、どうなりますやら(゜_゜>)

随分と日が経ってしまいましたが、10月5日に東大寺の『転害会』が行なわれました。
行なわれたと申しましても、この日の天気予報は雨だったため、手向山八幡宮での神事は行われましたが、転害門での儀式は中止となりました。

こちらは手向山八幡宮で行なわれた神事の様子です。
神様にこれよりお祭を行ないますと宮司が挨拶をした後、警蹕(けいひつ)の声と共に御神殿の御扉を開き、神様に御出ましを願い、御神饌と御幣を奉げます。
こちらは八幡宮なので、三柱の神様がおられまして、御神饌や御幣も三度奉納されます。

そして、宮司が祝詞を奏上されます。

この後、参列者による玉串の奉納です。
最初は東大寺の御僧侶が勤められ、氏子の方々が続きます。

こうして、御祭がつつがなく進み、撤饌の儀となります。
神饌をお下げした後、再び警蹕の声と共に神様を御神殿に御送りして御扉を閉めます。
神事の流れは、大体どこでも、このような感じですね。

雨は随分前にやんでいたので、この後に転害門まで行ってみましたが、こちらでの儀はやはり中止との事でした。
転害門のすぐ横に、今年にオープンした観光案内所があり、こちらで記録の絵図や写真パネル展示を拝見して参りました。
何でも10月1日に行なわれる『氷室神社』の大祭が良い天気だと、『転害会』の日は天気が崩れ、1日が雨模様だと、こちらが天気に恵まれる事が多いそうです。
確か、今年の『氷室神社』大祭は、とても良い天気だったはずです。
来年の『転害会』の日は日曜日になるはずなので、是非とも好天に恵まれる事を期待しています。
退出する宮司以下の神職五月五日は現在では子供の日ですが、かつては五節句の一つ『端午節句』、別名『菖蒲の節句』とも呼ばれました。
今でもお風呂に菖蒲の葉を入れると良いなどといわれますが、奈良時代より以前には、この日に『薬狩り』を行った事が見えています。
旧暦の五月は鹿の袋角が見事に延びる頃で、この角を薬とするために男性は狩を行い、女性は薬草を摘んだとされています。
その薬草で薬玉(五月の玉とも)を造る風習は、もう少し後まで残ったようです。
そして平安時代には、この日の参内には、菖蒲の葉を冠に着ける事を命じていたと記録にも残っています。

奉納舞楽『蘭陵王』今でも大きな神社などでは『菖蒲祭』を行っています。
『春日大社』でも境内に魔除けになるとされる菖蒲と蓬を飾り、神事を行います。
この神事は一応、非公開なのですが、幣殿越しに様子を窺うことが出来ます。

神事の流れは特に変わった事をする訳ではなさそうですが、献饌の儀に平行して神前で立花を行い、共に奉納をしていました。

その後に奉納舞楽があるのですが、どうやらこれを楽しみにしている方が多いようで、神事開始の10時には、かなりの人が幣殿の前に集まっていました。
そこから約1時間、本日の奉納舞楽は左方走舞の『蘭陵王』でした。
まあ、この舞に関しては特に解説も不要かなσ(^◇^;)
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