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春日大社の『百々手式(ももてしき)』も、そのような行事の一つとなりつつあります。
御奉仕下さるのは、小笠原流の弓馬術礼法を継承されている方々で、奈良だけでなく西日本各地からの参加をいただいているそうです。
ちなみに御宗家は神奈川県御在住との事です。
百々手式に先立って、若宮社で『蟇目(ひきめ)の儀』が行われました。
こちらのでの蟇目は的ではなく、若宮社の細殿(ほそどの)の屋根越しに射るという変わったスタイルで行われます。
杜に向けて放たれた矢は、行方を見定める役目の方がいて、しっかり回収してくれるとの事。
我ながら撮ってどうするんでしょ(・・?
『百々手式』は御本殿回廊内の『林檎の庭』で行われます。
しかし、この場所は決して広くはないので、五人ずつ三組に分かれて実施されます。
まずは最初の組(『前弓』というそうです)が登場。
射手は階段のテラス部、的よりも高い場所から狙うので、かなり難しそうです。
男性陣はいつものように片肌を脱いで弓を引きます。
このように片袖を脱いで、一人が二筋ずつ射ます。
本来は十人が十手(一手は二筋の矢を射る事だそうで)射たので、合計百手として『百々手式』と呼ばれます。
的役の人達が、射られた矢を回収して、各組の介添役の人に渡し、それぞれの射手に返します。
この一連の動作にも、決められた作法があるそうなので、そちらにもぜひ注目して下さいとの解説です。
そのような訳で、後弓の時はこのように林檎の木で殆ど射手が見えておりませんでした。
ちなみに林檎の花は既に散っておりました。
二年前には満開だったのに、今年は咲くのも散るのも早いですね。
御本殿の周囲では、山藤の花も真っ盛りに咲いて、連休初日は大層良い日になりました……と、やや意味不明に締めくくるm(__)m
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神職らが神殿に神饌を奉った後は、勅使らが天皇陛下より預かられた『御幣物』を奉ります。
勅使が林檎の庭の座に着き、その前に白木の机を二つ並べ、それぞれに二つずつの御幣物の入った箱を置いて行きます。
そして進み出た宮司らがそれぞれを神前に運びます。
その間に、空になった御幣物を運んで来た櫃が回廊の外に運び出されます。
確かここで御祭文を奏上するのだと思うのですが……(゜_゜>)
その御祭文を宮司が受け取って、再び神前に運びます。
勅使らが直会殿の方に入ってしまうと、左右の馬寮の官人が回廊から出て来て、外に繋がれていた二頭の白い馬も『牽廻』のスタンバイをします。
この間、回廊内では招待者代表が玉串奉納か何かをしているようなのですが、そっちはほぼ見ていませんでしたσ(^◇^;)
そして楽の音が聞こえてきますと、程なく楽人らが現れ、続いて『和舞(やまとまい)』の舞人が登場し、まずは神主舞の前歌、更には諸司舞が二曲舞われます。
この時、勅使らは直会殿で『直会の儀』が行われているのだと思うのですが……何せそちらはまったく見えないもので(^_^;)
御勅使もこちらから退出されると、たいそう絵になるのですが(~_~)
この朱色の束帯の方は外記だと思います。
何年か拝見していますと、何となく神事の次第は分かってくるのですが、相変わらずの不勉強で、それぞれの意味するところや正確な流れが分かりません。
そのような訳で大した報告も出来まま、今年も無事に御祭に参加したつもりになって帰って参りました。
この13日、午前中はこれらの画像のように晴れていたのですが、午後からは徐々に曇り始め、13時過ぎには雨がポツリポツリとして来まして、夕方からは本降りとなりました。
夜には東大寺の修二会のお松明を見に行ったのですが、その時には暴風雨……なかなかに変化のある日でした。
3月13日、夜には荒天となったこの日ですが、午前中は大変良い天気で、風もなく暖かい勅使参向となりました。
今年の御勅使は堤公長 宮内庁掌典職です。
掌典職は厳密に言うと宮内庁職員ではなく、宮中の祭祀を専門に担当する、別組織の職員になるのだそうです。
定員は12人、全員が神職の資格を有しているのだとか。
ここでは、権宮司の奉仕で勅使と辨に御身を清めて頂き、権宮司が祓の祝詞を読むこの時点では、招待された方以外は二の鳥居の内には入れませんので、イマイチ何をしているのやら見渡せません(-_-;)
祓戸を出た一行は更に参道を進み、着到殿(ちゃくとうでん)に入られて『着到の儀』を行います。
これこそ鳥居の手前ではまったく様子が分かりませんσ(^◇^;)
着到殿は御本殿回廊の手前にある吹き抜けの建物ですが、正式に使用されるのは『春日祭』のこの時だけです。
これは、藤原氏の子孫の方とそれ以外の方では、回廊内に入る門が違うためだそうで、前者は剣先道を通って慶賀門(けいがもん・西回廊の一番南側にある門)より入り、後者は正面の南門から入ります。
今年の勅使は再び二の鳥居の方に向かって来られ、剣先道から入って行かれたので、藤原氏の出身だったようです。
ちなみに昨年の勅使も同様でした。
この後、春日の四座の神殿に神饌を奉るのですが、神饌は殆ど加工していない木の枝で作られた御棚の上に置かれ、かなり安定が悪いそうなのでので、二人がかりで御棚を掲げて石段を登るのがとても難しいと聞いています。
第一の御棚は勅使と辨が第一殿の前に、第二の御棚以降は宮司を初めとした神職の方々が運びます。
ここから暫らくは、本殿前での御奉仕となるので、回廊内の招待者にも見る事が出来ないようです。
そういう訳で、ひとまずは続く……(^_^;)
何せ場所が歩いて行ける距離なので、時間が許せば行かぬ手はないと、案外気軽に足を運んでしまいます。
その割には、他の行事は『昭和祭』と『新嘗祭』くらいしか行っておりませんが(^_^;)
あ、ちなみに『百々手式』読み方は“ももてしき”です。
自慢じゃありませんが、私は最初、読めませんでしたσ(^◇^;)
まあ、うちの事はどうでも良いのですが、いつもながらに武道の類は見惚れる要素が結構ありまして、気分の切り替えになるので好きです。
要するに私自身が大昔に、矢鱈と注視されまくったようなところですね……鞘尻をいちいち上げるな!とか、左手の引きが遅い!!とか、お前の相手は何十メートル先にいるんだ?!ってな類です(--〆)
今年は27日(日曜日)に行われました。
朝方は冷え込んだのですが、前日に比べれば風邪も弱く、日差しがあったので割合に暖かい日でした。
御参りに来た人たちも、鎌倉時代よりの伝統を引き継ぐ、勇壮でいて雅やかさも醸しだす古儀に足を止めて見入っている様子でした。
今年は良い天気に恵まれましたね~と、ホクホクとして帰ってきたのですが、午後からは雲が広がり気温も下がって、日が傾く頃には雪も舞い始め、夜半には積雪……奉納者の誰かに晴れ男(女)がおられたのやら??
『神遊』の始まりです。
『地久(ちきゅう)』は鳥甲が特に高く、面もつけているのでかなり大変そうです。
二臈の方は背が高かったので、梁だけでなく照明にも当たってしまって……
この後に舞楽の『走舞』となるのですが、この頃にはようやく雨も上がり、どうせだから芝舞台にと場所を移動。
距離がかなり遠くなりましたので、写真など撮らずに黙って眺めておりました。
やっぱり、御仮屋の前でないと雰囲気は出ませんね。
しかし、夜はやはり寒かった……
そちらも私には無縁なんですけどねσ(^◇^;)
そしてしつこく上げるのは、『春日若宮おん祭』だったりします。
毎年、意味もなく、これでもかと言うほどの写真を撮りまくって、ハードディスク内に死蔵しているのも何なので、もう少し出してみる事に致します。
神職の方々が手渡しで運んでいるのは、神様に差し上げるお食事(神饌)で、こちらのように米をカラフルに染めた物(染御供:そめごく)や、五穀を貼り付けたような物も見られます。
息がかかってはいけないと、御膳を目の高さくらいに保つのがかなり大変そうです。
大和士の方々が入って来て拝礼をし、参道では大名行列が軽快な掛け声と共に進んで来ます。
そして射手稚児らは、一の鳥居まで戻って流鏑馬の奉納を行います。
このように幾つかの行事が同時並行で行われるので、何年か通って、今年はこちらを、来年は出来る事ならあちらをと、毎年思うだけは思うのですが……(^_^;)
お渡り式の行列の芸能者たちも、先頭に御幣を立てて渡って行きますが、お旅所での芸能に先立って、その御幣を奉納します。
ちなみに、神様が入られているお借屋の前まで、芸能者は勿論、日使も進む事は出来ないので、御幣は神職に手渡されて御神前に奉げられます。
この後、巫女さんによる社伝神楽から始まる『神遊び』が、芝の舞台の上で行われるはずなのですが、こうも振ってしまいますと如何ともし難い、仮の場所での実施となりました。
その辺も画像だけは、滅多矢鱈にあるのですが、気が向きましたら……(--〆)しつこい(--〆)
昨年も一昨年もぼやいた気がしますが、相変わらずの不勉強のうめぞーは、『頭屋児(とうやのちご)』の役割を理解しておりません。
中央辺りの白い衣被(きぬかずき)を着けた小さな子供が稚児で、小学生くらいの男の子が二人選ばれています。
パンフレットに載っている名前を拝見していると、もしかして春日大社関係の方の子供さん辺りから選ばれているような?
それはともかく、この子供達は神様に仕える神聖な存在なので、地面に足を下ろしてはいけないという訳で、退出する時にはお付きの大人たちに肩車をされて行きます。
こちら(記事は別の戯言)は昨年の様子。
かつては大和申楽四座が出仕していたそうですが、現在は奈良市に宗家のある『金春流』と、京都の狂言方の『大蔵流』が御奉仕されています。
こちらにも極めて不勉強なうめぞーでして、最初に一人で舞われる『開口』、そしてこの画像の三人舞の『弓矢立合』、更には次の画像、『三笠風流』の意味しているところを全く理解しておりませんσ(^◇^;)
ところで画像をパソコンに出していて、ようやく気付いたのですが、『三笠風流』を演じている方、茂山正邦さんですよねn(ー_ー?)ン?
こちらも松の下に整列して、幾つかの演目を披露してくれます。
『松の下式』はここまでで、その後は馬に乗った『馬長児(ばちょうのちご)』、『競馬』、流鏑馬の『揚児(あげのちご)』『射手児(いてのちご)』などが続き、自衛隊の若い人たちに担がれた『野太刀』などの巨大な刀や槍が人目を引きます。
更に直垂(ひたたれ)や素襖(すおう)を身に着けた『大和士(やまとざむらい)』の方々が、騎馬や徒歩で続き、最後は賑々しく『大名行列』がやって来て、次々とお旅所に向かいます。
お旅所祭は14時半くらいから。
同じ頃、一の鳥居まで戻った『射手児』らによる『流鏑馬』が参道の馬場で行われています。
そこで『南大門交名の儀』という儀式を執り行います。
ところが私は、これを一度も見たことがありません。
何故かと申せば、何とかの一つ覚えみたいに、一の鳥居を入った所にある『影向(ようごう)の松』の前で執り行われる『松の下式』を見ようと陣取ってしまうためですσ(^◇^;)
その後から、赤い装束を着け、梅の木の真っ直ぐな杖『梅白杖』と、白い『祝御幣』を持った二人を先頭に、『十列児(とおつらのちご)』、『日使(ひのつかい)』といった人達がやはり騎馬で続き、『松の下式』が行われます。
この『松の下式』が始まる頃、少し先の参道では『競馬』が行われ、この勝敗によって『お旅所祭』での走舞(わしりまい)の順序が決まるのは有名です。
画像が少々多いので、記事を分けまして次に続く……ってのか、眠い(p_-)
何せ奈良市は正倉院展や紅葉が終わるとおん祭ムードになだれ込み(?)、クリスマスはチョイトかすめて、除夜の鐘ついたら、一気に初詣?
なんて事をいうと、市民の方から怒られるかもしれませんが、奈良市の12月には絶対になくてはならないお祭だそうです。
先週までは天気が危ぶまれていましたが、当日は朝から良く晴れてくれました。
ところが夕方から雨……寒気が思いの他、早めに南下してきたのでしょうか?
ともあれ、『お渡り式』の間は良い天気に恵まれました。
今年は岩谷産業株式会社の牧野明次会長です。
そしてこの綺麗な女性は『奈良巫女(ならのみこ)』、奈良町にある御酒屋さんの御嬢さんだそうです。
被衣(かずき)をいただいた巫女姿の女性が六名ほど、騎馬でお渡りに加わっていますが、前の四名は『辰市巫女(たついちのみこ)』『八嶋巫女(やしまのみこ)』『郷巫女(ごうのみこ)』『奈良巫女(ならのみこ)』と呼ばれ、それぞれの春日神領だった地区から選ばれた未婚の若い女性で、後の二名が『拝殿八乙女(はいでんのやおとめ)』と呼ばれる春日大社の巫女(みかんこ)さんです。
この画像の騎馬の子供達も、流鏑馬(やぶさめ)に参加する『射手児(いてのちご)』です。
他にはお旅所祭で『東遊(あずまあそび)』を舞う『十列児(とおつらのちご)』、『馬長児(ばちょうのちご)』、『松の下式』に参加する『頭屋児(とうやのちご)』、そして『子供大名行列』という具合に、多くの子供たちが参加してくれます。
この具足、かなり重いのですが、重要な役のためか、いつも割合に年齢の行った方が勤められているような……これを半日着ているのは、かなり大変なのだそうです。
これらの芸能者たちは正午に県庁前辺りから出発し、登り大路をJR奈良駅まで下り、三条通を再び上がって、興福寺南大門の前で『交名の儀』を行った後に、一の鳥居より入って来ます。
そして『影向の松(ようごうのまつ)』に向かって、『松の下式』を行います。
この場に立ち会うのが『頭屋児』です。
では、次は『松の下式』の様子でも……m(__)m
『明治祭』は昭和初期には『明治節』と呼ばれていたそうで、かつての『天長節』だという訳です。
とは申せ、明治天皇は江戸時代末期の御生まれですから、誕生日も旧暦で9月22日、新暦に換算すると11月3日になるのだそうです。
このような訳でこの日、諸所の神社で『明治祭』が行われるのだそうです。
そして主な儀式は御廊の内ですので、ほぼ見えませんが、『饗饌』や『徹饌』の時は、楽が流れますので何となく分かります。
楽人の方々が長らく低頭をしていたのは、恐らく『宮司祝詞奏上』の時だと思われます……見えませんので、違ってたらすみませんσ(^◇^;)
国立博物館では『正倉院展』の真っ最中なので、春日大社の参拝者は何時もよりも多いのですが、神事が終わって神職の方々が退場する頃には、幣殿の前には結構な人が集まっていました。
この人たちが待っているのは、この後に行われる奉納舞楽ですが、本日の演目は『胡飲酒(こんじゅ)』でした。
この後、13時から『萬葉植物園』にて『春日古楽保存会創立80周年記念奉納演奏会』が行われました。
そちらはまた、カテゴリーを変えましてm(__)m