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今年も春日大社の最も重要なお祭である『春日祭』に行って参りました。
3月13日、夜には荒天となったこの日ですが、午前中は大変良い天気で、風もなく暖かい勅使参向となりました。
今年の御勅使は堤公長 宮内庁掌典職です。
掌典職は厳密に言うと宮内庁職員ではなく、宮中の祭祀を専門に担当する、別組織の職員になるのだそうです。
定員は12人、全員が神職の資格を有しているのだとか。
二の鳥居をくぐった勅使一行は祓戸神社(はらいどじんじゃ)の前の座に着き、『祓戸の儀』が行われます。
ここでは、権宮司の奉仕で勅使と辨に御身を清めて頂き、権宮司が祓の祝詞を読むこの時点では、招待された方以外は二の鳥居の内には入れませんので、イマイチ何をしているのやら見渡せません(-_-;)
祓戸を出た一行は更に参道を進み、着到殿(ちゃくとうでん)に入られて『着到の儀』を行います。
これこそ鳥居の手前ではまったく様子が分かりませんσ(^◇^;)
着到殿は御本殿回廊の手前にある吹き抜けの建物ですが、正式に使用されるのは『春日祭』のこの時だけです。
着到殿を出た後、今年は行列が二手に分かれました。
これは、藤原氏の子孫の方とそれ以外の方では、回廊内に入る門が違うためだそうで、前者は剣先道を通って慶賀門(けいがもん・西回廊の一番南側にある門)より入り、後者は正面の南門から入ります。
今年の勅使は再び二の鳥居の方に向かって来られ、剣先道から入って行かれたので、藤原氏の出身だったようです。
ちなみに昨年の勅使も同様でした。
御祭の参勤者らが本殿に入られると、ようやく見学の人たちも御本殿近くまで進む事が出来ますが、回廊の中には入れないため南門から見せて頂く形になります。
この後、春日の四座の神殿に神饌を奉るのですが、神饌は殆ど加工していない木の枝で作られた御棚の上に置かれ、かなり安定が悪いそうなのでので、二人がかりで御棚を掲げて石段を登るのがとても難しいと聞いています。
第一の御棚は勅使と辨が第一殿の前に、第二の御棚以降は宮司を初めとした神職の方々が運びます。
ここから暫らくは、本殿前での御奉仕となるので、回廊内の招待者にも見る事が出来ないようです。
そういう訳で、ひとまずは続く……(^_^;)
3月13日、夜には荒天となったこの日ですが、午前中は大変良い天気で、風もなく暖かい勅使参向となりました。
今年の御勅使は堤公長 宮内庁掌典職です。
掌典職は厳密に言うと宮内庁職員ではなく、宮中の祭祀を専門に担当する、別組織の職員になるのだそうです。
定員は12人、全員が神職の資格を有しているのだとか。
二の鳥居をくぐった勅使一行は祓戸神社(はらいどじんじゃ)の前の座に着き、『祓戸の儀』が行われます。
ここでは、権宮司の奉仕で勅使と辨に御身を清めて頂き、権宮司が祓の祝詞を読むこの時点では、招待された方以外は二の鳥居の内には入れませんので、イマイチ何をしているのやら見渡せません(-_-;)
祓戸を出た一行は更に参道を進み、着到殿(ちゃくとうでん)に入られて『着到の儀』を行います。
これこそ鳥居の手前ではまったく様子が分かりませんσ(^◇^;)
着到殿は御本殿回廊の手前にある吹き抜けの建物ですが、正式に使用されるのは『春日祭』のこの時だけです。
着到殿を出た後、今年は行列が二手に分かれました。
これは、藤原氏の子孫の方とそれ以外の方では、回廊内に入る門が違うためだそうで、前者は剣先道を通って慶賀門(けいがもん・西回廊の一番南側にある門)より入り、後者は正面の南門から入ります。
今年の勅使は再び二の鳥居の方に向かって来られ、剣先道から入って行かれたので、藤原氏の出身だったようです。
ちなみに昨年の勅使も同様でした。
御祭の参勤者らが本殿に入られると、ようやく見学の人たちも御本殿近くまで進む事が出来ますが、回廊の中には入れないため南門から見せて頂く形になります。
この後、春日の四座の神殿に神饌を奉るのですが、神饌は殆ど加工していない木の枝で作られた御棚の上に置かれ、かなり安定が悪いそうなのでので、二人がかりで御棚を掲げて石段を登るのがとても難しいと聞いています。
第一の御棚は勅使と辨が第一殿の前に、第二の御棚以降は宮司を初めとした神職の方々が運びます。
ここから暫らくは、本殿前での御奉仕となるので、回廊内の招待者にも見る事が出来ないようです。
そういう訳で、ひとまずは続く……(^_^;)
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