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12月17日に行われました『春日若宮おん祭』のお渡り式の様子です。
今までも何度か書いておりますが、若宮社の御子神様は17日だけ御社を出て、お旅所で神遊びをします。
日付が変わる頃に御本殿を出御、これが遷幸の儀で、お旅所の御仮殿に入られた後は暁祭で、朝餉の御前を供え神楽を奉納します。
この後、朝九時に本殿祭で祭の無事を祈り、正午よりお渡り式が行われます。
この式は、夕刻より始まるお旅所祭に奉仕する諸芸人がそれぞれに身なりを整えて、お旅所へと向かう様子を示しています。
参列の人々は県庁前の登り大路園地に集合し、ここから行列は出発します。
まずは現在のお祭りを執行する役員の人たちの、前行行列が出発します。
この女性は今年から加わった勾当内侍(こうとうのないし)、市議会の副議長だとか。
この後には、榊車、壷装束の女性達、騎馬の奈良市長やおん祭保存会の会長などが続きます。
そして本来の行列、第一番は日使(ひのつかい)を中心とした一行で、先頭は白い祝御幣(いわいのごへい)と梅白枝(うめのずばえ)、更に五色の御幣、馬に乗った十列児(とおつらのちご)、名前は十列ですが4人で、お旅所祭では『東遊』を舞う男の子たちです。
そしてこの黒い束帯の方が日使、今年は三菱UFJフィナンシャル・グループの沖原隆宗会長です。
平安時代、関白の藤原忠通が祭りに向かう途中に具合が悪くなり、付き従っていた楽人の一人が代理を務めた事より始まるとされていますが、現在は財界著名人が勤めておられます。
第二番は巫女が六人続きます。
最後の二人が拝殿八乙女(はいでんのやおとめ)と呼ばれ、春日大社の御巫(みかんこ)さんが勤めています。
第三番「細男(せいのお)・相撲」、
第四番「猿楽」、
第五番「田楽」、
第六番「馬長児(ばちょうのちご)」、
第七番「競馬」、
第八番「流鏑馬」、
第九番「将馬(いさせうま)」、
第十番「野太刀」、
第十一番「大和士(やまとざむらい)」、
第十二番「大名行列」と続きます。

こちらの画像は、流鏑馬の稚児に従う騎馬武者と、最後の大名行列(多分、郡山藩)です。
大名行列で担がれている駕籠ですが、いつもは人は乗らずに備品などを入れておくようですが、今年の南都奉行の駕籠には、昨年の日使を務めた岩谷産業の会長が、御奉行役で乗っておられました。
担ぐ人も乗る人も、かなり大変かも……
登り大路を西に向かう一行は、油阪の交差点で南に向かい、JR奈良駅前から三条通に入って東に進路をかえて、興福寺南大門で交名の儀を行い、一の鳥居から境内に入ってきます。
そして有名な影向の松(ようごうのまつ)の下で、松の下式が行なわれます。
今までも何度か書いておりますが、若宮社の御子神様は17日だけ御社を出て、お旅所で神遊びをします。
日付が変わる頃に御本殿を出御、これが遷幸の儀で、お旅所の御仮殿に入られた後は暁祭で、朝餉の御前を供え神楽を奉納します。
この後、朝九時に本殿祭で祭の無事を祈り、正午よりお渡り式が行われます。
参列の人々は県庁前の登り大路園地に集合し、ここから行列は出発します。
この女性は今年から加わった勾当内侍(こうとうのないし)、市議会の副議長だとか。
この後には、榊車、壷装束の女性達、騎馬の奈良市長やおん祭保存会の会長などが続きます。
平安時代、関白の藤原忠通が祭りに向かう途中に具合が悪くなり、付き従っていた楽人の一人が代理を務めた事より始まるとされていますが、現在は財界著名人が勤めておられます。
最後の二人が拝殿八乙女(はいでんのやおとめ)と呼ばれ、春日大社の御巫(みかんこ)さんが勤めています。
第三番「細男(せいのお)・相撲」、
第四番「猿楽」、
第五番「田楽」、
第六番「馬長児(ばちょうのちご)」、
第七番「競馬」、
第八番「流鏑馬」、
第九番「将馬(いさせうま)」、
第十番「野太刀」、
第十一番「大和士(やまとざむらい)」、
第十二番「大名行列」と続きます。
大名行列で担がれている駕籠ですが、いつもは人は乗らずに備品などを入れておくようですが、今年の南都奉行の駕籠には、昨年の日使を務めた岩谷産業の会長が、御奉行役で乗っておられました。
担ぐ人も乗る人も、かなり大変かも……
登り大路を西に向かう一行は、油阪の交差点で南に向かい、JR奈良駅前から三条通に入って東に進路をかえて、興福寺南大門で交名の儀を行い、一の鳥居から境内に入ってきます。
そして有名な影向の松(ようごうのまつ)の下で、松の下式が行なわれます。
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