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お渡り式の行列は十三時くらいに春日大社の一の鳥居に到着します。
鳥居を入った南側(右側)の高い位置には、影向の松(ようごうのまつ)が生えています。
この下には頭屋児(とうやのちご)と呼ばれる二人の子供が、神様のお使いとして松の下式を見守っています。
これは昨年の画像ですが、中央に見えている白い衣被をかぶった子供たちが稚児です。
この子達は、地面に足を着いてはいけないので、手前に写っている男性に肩車をされて、松の下を出入りします。
先行行列に続き入って来た日使(ひのつかい)の一行は、影向の松に向かって整列します。
日使赤い衣の陪従(べいじゅう)を二人従えています。
この人たちは南都楽所の楽人で、ここで短い曲を演奏します。
この儀式の間、続く巫女たちは鳥居の手前で待機しています。
巫女の後の細男座(せいのおざ)の人たちも、笛や鼓を奏し、袖で顔を隠して拝礼します。
続いては猿楽座、一同整列した後、「開口(かいこう)」「弓矢立合(ゆみやたちあい)」「三笠風流(みかさふりゅう)」という舞の奉納を行ないます。
これが案外時間がかかりまして、この間に続く人たちは、興福寺の側に折れて待機させられるようです。
猿楽の人たちは、松の下式を終えた後、お旅所の入り口で「埒明け(らちあけ)」の儀式を行ないます。
金春太夫が埒を閉じていた紐を切るのだそうですが、未だ見た事がありません(-_-;)
何故かと言えば、つい暢気に田楽座の様子を眺めているからですσ(^◇^;)
この後の行列は大名行列まで続き、かつてはその後で招待された他県など芸能者による奉納もあったのですが、最近は宝蔵院流鑓術の演武が行われていると聞いています。
更には流鏑馬の稚児たちもお旅所から一の鳥居まで戻り、稚児流鏑馬の奉納も行ってくれます。
これが十四時半くらい、お旅所では既に神事が始まっていて、私は昨年も今年もこちらを眺めておりました。
神事の流れは、基本、神様に御食事を献上し、宮司が幣帛を奉って祝詞を上げ、次に日使が奉幣をした後は、参列者による玉串奉納と続きます。
この間も、お渡りを終えた芸能者らが次々とお旅所に入って来て、拝礼をして持ち場へと去って行きます。
最後は流鏑馬を終えた子供たちと、演武を終えた鑓術の方々でしたか。
こうして、十五時半くらいよりお旅所祭が始まります。
鳥居を入った南側(右側)の高い位置には、影向の松(ようごうのまつ)が生えています。
この下には頭屋児(とうやのちご)と呼ばれる二人の子供が、神様のお使いとして松の下式を見守っています。
この子達は、地面に足を着いてはいけないので、手前に写っている男性に肩車をされて、松の下を出入りします。
先行行列に続き入って来た日使(ひのつかい)の一行は、影向の松に向かって整列します。
日使赤い衣の陪従(べいじゅう)を二人従えています。
この人たちは南都楽所の楽人で、ここで短い曲を演奏します。
この儀式の間、続く巫女たちは鳥居の手前で待機しています。
これが案外時間がかかりまして、この間に続く人たちは、興福寺の側に折れて待機させられるようです。
猿楽の人たちは、松の下式を終えた後、お旅所の入り口で「埒明け(らちあけ)」の儀式を行ないます。
金春太夫が埒を閉じていた紐を切るのだそうですが、未だ見た事がありません(-_-;)
この後の行列は大名行列まで続き、かつてはその後で招待された他県など芸能者による奉納もあったのですが、最近は宝蔵院流鑓術の演武が行われていると聞いています。
更には流鏑馬の稚児たちもお旅所から一の鳥居まで戻り、稚児流鏑馬の奉納も行ってくれます。
これが十四時半くらい、お旅所では既に神事が始まっていて、私は昨年も今年もこちらを眺めておりました。
神事の流れは、基本、神様に御食事を献上し、宮司が幣帛を奉って祝詞を上げ、次に日使が奉幣をした後は、参列者による玉串奉納と続きます。
この間も、お渡りを終えた芸能者らが次々とお旅所に入って来て、拝礼をして持ち場へと去って行きます。
最後は流鏑馬を終えた子供たちと、演武を終えた鑓術の方々でしたか。
こうして、十五時半くらいよりお旅所祭が始まります。
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