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天平十二年に起きた大宰府の反乱と、その後の都周辺の動きはどの程度に関わりがあるんでしょう。
そもそも、西の果てでどうしてあれほどの戦火が上がったのでしょう。
この後、大宰府の機能が停止し、鎮西府を置いて管内が戒厳体制に置かれるともなれば、ここで起きた騒ぎが一部の人たちの感情論が起したような類ではないと思えるのですが。
過去の研究者も、この辺りにあえて目でもつぶったのか、額面どおりの捉え方しかせず、むしろ畿内と大宰府の距離関係や交通事情へ目を向けるような論争しか展開していないように思えます。
この話を具体的に取り上げる機械は今の所ないのですが、その後の動きがもしも都周辺に影響していたのなら、無視する訳に行かない事情があります。
と……このように脱線しまくっている訳なのですが、本当にこいつを真剣に考え始めますと、実のところ話の筋そのものに大きく影響してきそうな気がするんですよね。
ひとまずはこれに触れずに、若しくは主人公を無知のままにしておいて、話を展開させて行くべきなのかもしれません。
いやしかし、私がこれらの関わりをある程度の理解しておかないと、このこと自体に意味がなくなって来るじゃないの……(ーー゛)
どうしていつも、わざと背景を複雑にしたがるんだ、我ながら(--〆)
少し前から、何となくこの歌が気になる……また病気か?(?_?)?
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