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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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『続日本紀』のように日付を追って記された記録を眺めていて、時々こいつが、チョッと分からなくなる事があります。
天平十二年に藤原広嗣が大宰府にて兵を上げた時の記事も然りですが、このところ眺めている宝亀十一年の伊治呰麻呂の乱も然りです。

これらの記録の最初は、現地にてこの事件が起きた日付から始まります。
ところが大宰府にせよ多賀城にせよ、都からかなりの距離がありますので、事件が都に伝わるのは数日後の事となります。
そのせいで、中央で迅速な処置や命令が下っても、数日の開きがあるため、対応がかなり暢気に見えてしまいます(-_-;)
更には、早馬で伝令が来るのでしょうが、これが一発で情報をもたらすとは思えません。

例を示しますと、宝亀十一年の三月二十二日に伊治城で反乱が起きます。
それに対して都が征東大使副使を任命したのは二十八日です。
陸奥按察使が殺害されたという知らせに、太政官が六日も何もしない訳がありません。
これがまさにタイムラグです。
そして二十九日、陸奥介大伴真綱鎮守副将軍に任命しています。
鎮守将軍按察使が殺害された紀広純ですから、現地でのセカンドマンとなる陸奥介に権限を託すのは順当な流れに見えますが……

実は、この大伴真綱という御仁、多賀城で踏ん張って援軍を待たなければならないような立場にいるのに、城への保護を求む周辺の住人らを放り出して、石川浄足と共に逃げ出してしまいます。
敵前逃亡を平然とやってくれた者に権限を与えるほど、中央政府も能天気ではないでしょう。
そういう訳で、真綱の副将軍への任命も、多賀城陥落の知らせが入るよりも以前の事でしょう。

ここで名前の見える二人の逃亡者、以後の消息は分かりません。
もしかしたら、関東から発動された援軍にでも保護を求めて、その後に都から来た将軍たちに引き渡され、都へ護送された後に軍事裁判にかけられたかもしれません。
二人とも都の官人ですし、そうなった時の結果が分かっているでしょうから、そのままどこかへ逃亡した可能性も無きにしも非ず……権門出身のエリートのはずなのに(/_;)

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