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南山背から難波へ向かうルートを眺めております。
多分、奈良まで出て、生駒の暗峠(くらがりとうげ)を超えて、東大阪の枚岡の辺りに下りて来たのでしょう。
私はこの道をいまだ通った事がありません。
石畳がずっと続いていて、これが結構歩き難いのだそうです。
このルートの途中に『桜井頓宮』があるのですが、現在の東大阪市六万寺近辺だそうです。
ここから西にひたすら行くと、天王寺に着きます。
約12キロの道程だそうで、地図で見ますと県道(府道なのかな?)24号線で途中までたどれます。
あまり大きなアップダウンはないコースだと思います。
ここで疑問……(・・?
天平十五年閏一月、聖武天皇は恭仁宮を発って難波行幸に出かけます。
途中の桜井頓宮で安積親王が具合が悪くなり、恭仁に帰らせるらしいのですが、ここから生駒を越えて帰る事を考えたら、難波に行く方が近いのではないのかしら??
この辺から、あの愚問的な暗殺説が一人歩きしているのだと思いますが、もう少し別の理由ってないのかしらねぇ……親王自身が難波を嫌がったとか、病人は行幸に従ってはならないとか???
やっぱり、この辺、どう考えて良いのか???
少なくとも、恭仁だの平城の留守官が手が出せる状況じゃないでしょう?
もし怪しむなら、帰りの道中さ……親王付きの人物が怪しい??(@_@;)??
いや、だから、暗殺説なんて私ゃ取らないんだって(-_-メ)
多分、奈良まで出て、生駒の暗峠(くらがりとうげ)を超えて、東大阪の枚岡の辺りに下りて来たのでしょう。
私はこの道をいまだ通った事がありません。
石畳がずっと続いていて、これが結構歩き難いのだそうです。
このルートの途中に『桜井頓宮』があるのですが、現在の東大阪市六万寺近辺だそうです。
ここから西にひたすら行くと、天王寺に着きます。
約12キロの道程だそうで、地図で見ますと県道(府道なのかな?)24号線で途中までたどれます。
あまり大きなアップダウンはないコースだと思います。
ここで疑問……(・・?
天平十五年閏一月、聖武天皇は恭仁宮を発って難波行幸に出かけます。
途中の桜井頓宮で安積親王が具合が悪くなり、恭仁に帰らせるらしいのですが、ここから生駒を越えて帰る事を考えたら、難波に行く方が近いのではないのかしら??
この辺から、あの愚問的な暗殺説が一人歩きしているのだと思いますが、もう少し別の理由ってないのかしらねぇ……親王自身が難波を嫌がったとか、病人は行幸に従ってはならないとか???
やっぱり、この辺、どう考えて良いのか???
少なくとも、恭仁だの平城の留守官が手が出せる状況じゃないでしょう?
もし怪しむなら、帰りの道中さ……親王付きの人物が怪しい??(@_@;)??
いや、だから、暗殺説なんて私ゃ取らないんだって(-_-メ)
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