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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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藤原式家の兄弟の事なのですが……まぁ、たいした事じゃありません、前もって断っておきますと。
家長は宿奈麻呂(後の良継)です。
弟は少なくとも七人はいると思いますが、この御仁がもっとも気に入っていたのは、六番めの異母弟の雄田麻呂(後の百川)だろうと思います。
二人の年齢差は十六歳、早くに父親を病気で亡くした雄田麻呂にとっては、この兄が父親代わりだったのかもしれません。
雄田麻呂の内室は藤原諸姉、宿奈麻呂の娘ですが、恐らくは長女だと思われます。
宿奈麻呂の息子として知られているのは宅美のみなので、弟で娘婿の雄田麻呂はやはり息子に次ぐような存在だったかもしれません。
しかし、宿奈麻呂には娘は結構多かったようで、北家の永手や楓麻呂にも嫁がせています。
この人たちの世代は、まぁ、良いのですが……

宿奈麻呂の母親は左大臣石上朝臣麻呂の娘の国守だそうです。
兄の広嗣の母親も同じ人だと思います(尊卑分脈にのっているので、ちと曖昧(-_-))
この人の弟に乙麻呂という人がいます。
宅嗣の父親に当たる人ですが、若い時にはちょいとしたスキャンダルに見舞われて不遇をかこっております。
とある未亡人との仲が取りざたされて、一体どうしてなのか、流刑にまでなってしまいます。
その女性が誰なのかと申しますと、久米連若売という人で、藤原朝臣宇合の内室の一人でした。

まぁ、思うに、乙麻呂さんは姉上に会うために時々、藤原式家を訪れていたのだと思います。
そこで若売さんに会う事もあったのでしょう……
そして天平九年の事、式家の主の宇合氏がお亡くなりになりました。
この後、乙麻呂と若売の仲が発覚したのは天平11年の事です。
既に二年も経っているのに、故式部卿の未亡人と通じた程度で、どうして土佐くんだりにまで流されるのやら、なんとも腑に落ちないのですが、とりあえずこの事は置いておきます。

ところで久米連若売には雄田麻呂という息子がおります。
母親がこのスキャンダルの一端を担った事、果たして当時八つの息子はどの程度理解していたのでしょうか?
ついでに母親の相手が次兄の叔父に当たる人という事も……
この程度の事、雄田麻呂にしても宿奈麻呂にしても、大して気に留める事でもないのでしょうかねぇ……どうも現代の感覚からいうと、どいつもこいつも変……なんだが(ーー;)
いや、そもそも、乙麻呂の流罪の原因が本当に未亡人との不義(なのか?)によるものなのか、今度はそっちが疑問に思えて来るんだが←かくして病気が出始めています(--〆)
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