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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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天平勝宝から宝亀年間の始めにかけての太政官のメンバーを調べておりました。
大臣や大納言、中納言、参議は『公卿補任』で簡単に出て来るんですが、左右の大弁や少納言となると、またもや『続日本紀』からの拾い出しですわ……(-_-;)

左大弁の名前もあまり出てこないけど、右大弁はもっと記録が少ない(ーー;)
それに引き換え、少納言となると毎年、人が変わってるんじゃないかと思うくらい、しょっちゅう任命があるんですね。
それでも何となく傾向は分かります。

意外だったのは、大弁は左右とも藤氏がかなり少ないんですわ……どうしてなんだ?
左大弁に到っては一人も出てこない?
これはこの期間に限った事なのかしら??
光仁朝になると様相は変わるのかな???
もっと顕著なのは、一人として諸王がいない……
まぁ、橘奈良麻呂は既に諸臣扱いだろうし、百済王敬福は諸王という訳ではないからねぇ。
以前書いた話で、湯原王を左大弁に勝手に任命しちまったけど、これはもしかしたらかなり不適切なのかもしれませんわねσ(^◇^;)

ところが少納言となると、状況は全く違います。
藤氏は確かに少ないですが(蔵下麻呂以外出てきませなんだ)、こちらは諸王だらけ(~_~;)
まぁ、職務上、分からないでもないですけどね。
おまけに常連の御仁までいたりして……
菅生王と当麻王、この二人なんて何年、少納言やってるんでしょう……特に菅生王は、天平宝字三年から宝亀三年までの間、名前が見えていますからねぇ。
定員は三人のはずなのですが、奈良時代には員外の定員までいますから、実態としては何人いた事になるんでしょうねぇ?

穿った考え方をすると、最初の叙位で従五位下(孫王に到っては従四位下)がもらえる諸王という連中は、官界では厄介な存在だったのかもしれません。
これを分かっていながら、諸王を勝手に内舎人にまでする私は非常識なのかもね(-_-)
もしかしたら散位の諸王って、掃いて捨てるほどいたのかもしれません。
まぁ、諸王に限らず、税収アップのために官位を金や物で売るような事を続けたお陰で、散位の官人も結構いたんじゃないのかしら……墾田永年私財法なんてやつを考えたやつが悪いのか?
それを利用した為政者が悪いのか??
……やっぱり私の前頭葉では、長屋王も橘諸兄も印象悪いんだわねぇ(--〆)

それにしても四年前の真夏の盛り、私ゃいったい、どういう話を書いていたんでしょう?
セカンド頁の記事を読んでいると、我ながら結構おかしいσ(^◇^;)σ(^◇^;)σ(^◇^;)
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