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今書いている話、何となく意味不明に、後に大物となる人が若い時の姿で出てきます。
一番若い姿で出てくるのは、四歳の山部王だったりするんですが(-_-)
あとは名前を思い出してもらえない二十五歳の内舎人……だから誰さ?
それから作者からあまり好かれていない、二十歳そこいらの頃の左大臣の息子もいるし。
ついでに、阿倍内親王から御使いを頼まれてくるのは、二十八歳の右衛士督……藤原八束です。
さて、今書いている辺りで左大臣の息子、橘奈良麻呂は二十二~三歳です。
この人確か、藤原魚名と同じ年だったかな。
藤原田麻呂が一つ年下、佐伯今毛人が二つ年上ですね。
ここの同世代に設定しているのが、市原王だったり山背王だったりするんですが、やっぱりこのくらいの年齢の時の各人のプロフィールってよく分かりませんわね。
ちょっと気になっているのが、藤原八束の兄弟たちです。
年子の同母兄の永手は、異母兄の鳥飼の早世によって北家の総領となり、二十四歳で従五位下を叙位されて出世コースに乗ってきます。
それなのに、その後の動きが全く分からない……(?_?)
一方、二十六歳で兄の階位に並び、同じ年の暮れには更に一階上がった同母弟は、春宮坊で出世コースに乗ったようです。
二人の異母弟の清河(生年不明)は、八束と同じ年に従五位下に叙せられて、次の年には中務少輔になっています。
この三人の内で最初に参議になるのは、何と清河です。
これは遣唐大使に選ばれる前年の事。
この三人ってもしかして、この頃はまったく別の派閥に属していたのか?
どうも北家の連中って、動きがつかみ難いんですよね。
この連中は名前だけは何度か出てくるのですが、やっぱり具体的に動かせませんわ。
それなのに、どうして出てくるんでしょう??
まぁ、今回、藤氏で中心になってくるのは南家の兄弟ですからねぇ。
それにしても白壁王、随分と若い次官の事が気に入ったみたいねぇ。
春日王のウケも悪くないしねぇ……しかし、湯原王だけはチョイト視点が違うか???
(゜.゜)やっぱり、ここの兄弟が一番変なのかも……(~_~;)