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確か4枚を継ぎ合わせております。
この何も無い田畑が何かって?
これは滋賀県甲賀市の有名な『宮町遺跡』を遠望したところですね。
遺跡を見に行くと往々にしてこういう事はあります。
教育委員会の看板くらいはあるのですが、やっぱり何が何やら状況ですね。
山の中の小さな盆地に、本来ならば離宮として計画され、何か思うところあって高御座を移し、朝賀まで行う事となり、都が難波に移ろうが天皇はここに居座っていたという、遷都宣言はなくとも実のところ都に等しい場所となりましたのがここです。
高架を立てる工事の事前調査で、このすぐ近くで宮町遺跡にまっすぐ続く切り通しの道や建物跡を検出しています。
この場所は宮町遺跡と甲賀寺跡との中間点に当たるのだそうで、何らかの役所的な施設があったのだと考えられているようです。
その『新宮神社遺跡』の解説の看板が道端にあったので、車を停めて眺めていたついでに、その遺跡の名前の元になったこちらにもお参りして来ました。
少々古びた看板によりますと、御祭神は橘諸兄公だそうです。
左大臣橘朝臣諸兄は、恭仁遷都の推進者の一人です。
果たして諸兄公にしてみますと、決して都として望んでいなかったこの狭苦しい紫香楽の地に祭られる事が本望なのでしょうか……などと、ついいらぬ事を思う次第です(゜.゜)
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