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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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私の中で南家豊成の息子どもは、案外、影が薄い……
何せ父親ですらも弟らの陰に隠れて、存在感が希薄……
その父親(祖父)は、それなりのインパクトのある御仁なのにねぇ……

この南家の右大臣の息子らで誰が曲者かと申しますと、四男の縄麻呂(ただまろ)です。
この人の母親は北家房前(ふささき)の娘だそうで、どうやら正妻の息子という扱いのようです。
何と申しましても、二十一歳で早々に従五位下に叙せられているのは、嫡子扱い以外の何でもなさそう。
そしてその四ヶ月後に侍従に任命されてます。
ちなみにこの時には、既に孝謙天皇が即位しています。
この後はかなりのブランクがありまして、更には、天平宝字元年の『橘奈良麻呂の謀反事件』で父親や兄が関与を問われたためか、出世のスピードはもたついています。

しかし淳仁天皇の御世になっても侍従は続けているようで、七年に礼部(治部)大輔になった時も侍従との兼任になっているます。
この人の次のステップが始まるのは、『恵美仲麻呂の謀反(八年の乱)』の後です。
『続日本紀』には何の記述もないのに、従四位下・勲三等に叙せられます。
いったいこの壮士、何をしたんだ……(--〆)
天平神護二年には正四位下民部卿・勅旨大輔・侍従で見え、更には近江守(相変わらず藤原南家の独占職?)にまでなっています。
もしかしたら参議になったのもこの辺りかも知れません。
もし『八年の乱』の時の任命なら、まだ三十六歳……一体何をしたんだ、この壮士(?_?)

ただ南家は光仁天皇の時代になると、少々旗色が悪い(?)ですから、もう少し長生きをするべきだったのかもしれません。
縄麻呂の亡くなったのは宝亀十年、従三位中納言兼中衛大将、勅旨卿、侍従で五十一歳。
従二位大納言が贈られていますが、後数年長生きして桓武天皇の時代にまで活躍できれば、大臣のポストも待っていたかもしれません。
北家の魚名も失脚するしねぇ……この後は北家が斜陽気味?
この人が亡くなったおかげで、兄の継縄や従兄弟の是公、式家の田麻呂の出世街道も開けたのかもしれませんけどねぇ……

以上のプロフィールはともあれ、果たしてこの壮士、何をしたんだ、『八年の乱』および『和気王謀反未遂』の時に……(ーー゛)
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