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知っている人には、何を今更な内容です(~_~;)
平城天皇は藤原薬子よりも年上の可能性があるんですねぇ……
ただしそう考えると、本当に薬子が尚侍だったのかという方が疑問になるのですが(・・?
まぁ、あの父親(?)の息子(?)がやる事ですから、エコヒイキなんてざらなのでしょうが。
薬子は御存知、式家の種継の娘です。
種継に息子は五人いたらしいのですが、娘は何人いたのでしょう……分かりません(・・?
一応、薬子の他には、桓武天皇の後宮に入って甘南美内親王を生んだ女性もいます。
種継の長女か次女か三女かは分かりませんが、薬子は同じ式家の縄主(蔵下麻呂の長子)の内室となって五児(三男二女)の母になります。
縄主と安殿親王(平城天皇)の年齢差は十四歳です。
仮に薬子を安殿親王と同じ年齢と仮定して考えてみましょう。
この時代の女性は十三歳で結婚が出来たはずです。
薬子の長女が皇太子だった安殿親王に輿入れするという運びですから、例えば十六歳で生んだ娘が十三歳になった時は、何と母親は二十九歳ですか。
安殿親王は三十三歳で即位してますから、二十九歳の時は間違いなく皇太子です。
それで、三十歳前後までに五人の母親になる事は可能か?
まぁ、生物学的に不可能という事はありますまい……(-_-;)
ちなみに長兄の仲成は安殿親王よりも十歳年長のはずですから、薬子との年齢関係には特に無理はないでしょう。
安殿親王の皇太子時代の妃には、藤原百川の娘の帯子と、伊勢老人(おきな)の娘の継子がいますが、継子は二歳年上、帯子も多分年上でしょうか。
もしかしたら安殿親王の好みは、同世代で少し年上の女性なのかも(^_^;)
そうなりゃ、一回り以上年下の女の子よりも、その母親の方に目が向くのも分からない心理でもないような、あるような?????
それにしても、長年とまで行かなくても連れ添った奥さんに袖にされた亭主の心理は如何に?
確か、北家にも似たような人がおられましたねぇ……(~_~;)
ところで百川の長男は緒嗣で、三男は継業ですが、次男の名前って分かってるのかしら?
もしかしたら成人前に死亡して、名前は残っていないのかな?
長男と三男の年齢差は五つ、三男は父親の亡くなった年に生まれているから、末っ子で間違いなし?
ついでに……こんなもの見つけて笑ってんじゃねぇって(--〆)
脱線するの?