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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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誰の兄かって言いますと、雄田麻呂の兄です。
この人には同母兄はいない(といっても、名前も来歴も不明の兄が二人いますが)ようですので、当然ながら異母兄です。
とりあえず申しますと、次兄の宿奈麻呂ではありませんし、長兄の広嗣でもありません。
その下の清成(種継の父親)でも、長兄と共に戦死した綱手でもありません。
そういう訳で残るのは、その下の兄、田麻呂です。

この人、後々、右大臣にまでなるのですが、私の中ではかなり影の薄い人です。
おまけにプロフィールを書き出してみますと、史書への初出は40歳の時(天平宝字五年)、この年にようやく従五位下に叙位されています。
おまけにこの時の推定役職は礼部少補(治部少補)……すっごい、意外だわ(^_^;)
その翌年に遣唐副使に任命された時には、左虎賁衛督(左兵衛督)で見えるから、若いときからのバリバリ武官だと思っていたもので。
治部省っちゅうたら、代々の長官は大抵が皇族か真人姓の人で占められていて、四等官も皇族が圧倒的な印象があったんですけどねぇ(~_~;)

そもそも、何で田麻呂の兄は、こうもスロースターターなんでしょう?
六歳上の兄、宿奈麻呂の五位への叙位は三十一歳の時、十歳年下の弟の雄田麻呂は二十八歳の時、十二歳下の蔵下麻呂は三十歳の時になるのに、この人だけ極端に遅いんですよね。
母親の関係ですかねぇ……(ちなみに誰かは判りません)

それでも式家の兄弟にありがちに、『恵美仲麻呂の謀叛』の後に、出世コースに乗って来るんですね。
光仁朝の末期には、この人が藤氏の氏長になるのかな?
いや、北家の魚名の方が一つ上(極官は左大臣)ですか。
それに光仁天皇は、式家よりも北家の方を重用しているみたいですからねぇ。

それは兎も角、参議入りは結構早い時期だし、兵部卿や中務卿も歴任して中納言になるのは宝亀十一年。
天応元年には東宮傳に任命されて、正三位大納言、そして翌年には右大臣ですか……
しかし、この晩年も考えてみると、かなり微妙ですねぇ。
薨去が延暦二年の二月、姪の乙牟漏の立后が四月ですから……(ーー;)

晩年はまぁ、良しとしまして、遣唐副使任命の頃、これが今回の話の時点なんですよね。
困ったな、兄や弟、甥はしつこく登場するのに、この人が名前しか出てこない……(-_-;)
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