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こちらに行ったのは先週の日曜日、十日の事、つまり『石光寺』に行ったついでです。
この物置小屋みたいなのって何かって?
葛城市にある『鳥谷口古墳』です。
土取り工事中に偶然発見されてから、既に四半世紀が経っています。
実に奇妙な横口式石郭で、組み合わせ式の家型石棺を利用して石郭を築いています。
更なる特徴としまして開口部がかなり狭く、小口側ではなくて横にあるんですね。
そりゃ何だって?こちらの写真を御覧下さい。
これが開口部なんです。
横穴式石室にしても横口式石郭にしても、埋葬する部屋を作ってから遺体を収めますので、不謹慎な話、死後硬直した成人の体をここに納めるにはかなり無理があるんですね。
そこでかの河上邦彦大先生の御説では、再葬骨か火葬骨を納めたのではあるまいか云々……
そういう訳で天武天皇の某皇子の再葬墓だというセンセーショナルな推測を武器(?)にして、移築なんてとんでもない、この場所で保存しろと叫び声を上げたのも、ずいぶん昔の事ですね。
この場所は、二上山の奈良県側の下山ルートとして良く使われる馬の背からのコースの途中にあるので、訪れる人はちょくちょくいるようです。
私としては訪れるのは数年ぶりでしょうか。
この物置小屋みたいなのって何かって?
葛城市にある『鳥谷口古墳』です。
土取り工事中に偶然発見されてから、既に四半世紀が経っています。
実に奇妙な横口式石郭で、組み合わせ式の家型石棺を利用して石郭を築いています。
更なる特徴としまして開口部がかなり狭く、小口側ではなくて横にあるんですね。
そりゃ何だって?こちらの写真を御覧下さい。
これが開口部なんです。
横穴式石室にしても横口式石郭にしても、埋葬する部屋を作ってから遺体を収めますので、不謹慎な話、死後硬直した成人の体をここに納めるにはかなり無理があるんですね。
そこでかの河上邦彦大先生の御説では、再葬骨か火葬骨を納めたのではあるまいか云々……
そういう訳で天武天皇の某皇子の再葬墓だというセンセーショナルな推測を武器(?)にして、移築なんてとんでもない、この場所で保存しろと叫び声を上げたのも、ずいぶん昔の事ですね。
この場所は、二上山の奈良県側の下山ルートとして良く使われる馬の背からのコースの途中にあるので、訪れる人はちょくちょくいるようです。
私としては訪れるのは数年ぶりでしょうか。
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