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このしゃれた建物は、橿原市新賀町にある喫茶店です。
二十年以上前からやっている割には、雑誌などであまり紹介されているのを見た事がないのですが、知る人ぞ知る息の長いお店です。
最寄の駅は近鉄大和八木、国道24号線を北上し、近鉄百貨店の前の交差点から更に二つほど行った信号を右にUターンするように入った道のすぐ脇にあります。
『ティールームcha cha cha』という名前で、紅茶専門店と謳っていますが、常連さんにとってはヴォリュームのあるサンドウィッチやハンドメイドケーキの印象も強いのではないかと思います。
私も月に3~4度は出没して、大抵一時間以上ねばっております。
長居をするには、かなり打ってつけのお店ではないでしょうか。
紅茶を頼むと、大抵がこのようにポットで出てきます。
このようにケーキをつけても6~700円、これにミニサンドウィッチをつけても8~900円ですから、ここの常連になったら、他の店がやたらに高いお茶に感じていけません(^^ゞ
ミニサンドウィッチと言いましたが、これが全然ミニじゃなくて、女性ならこれだけで充分おなかが一杯になります。
食べ切れなければ持ち帰りも可(~_~)
さて、どうして今更ながらにこのお店の紹介など始めたかと申しますと、今日の夕方、早めの夕食にここで件のサンドウィッチを食べておりました。
その時に読んでいた本が、先日の万葉ホールでの講演会で買って来た『歴史の道を行く』だったんです。
『下つ道』の案内を読んでおりまして、はたと気づいたのが、このお店の近辺が書かれているという事。
国道24号線と下つ道の交わる『新賀町』の交差点って、すぐそこじゃないの……まさに近鉄百貨店から二つ目の信号です。
私がその時座っていた席から窓越しに眺めていた生活道路は、まさにこの『下つ道』なんですわ。
『下つ道』を南下すると小房の交差点に出て、ここから道は『国道169号線』になります。
いつも買い物やら遊びやらに、車で走っている道です。
『横大路』は通勤路だし、『阿部山田道』も明日香から桜井に抜ける時に時々走るし、古代の道と仰々しく言っても、実は誰も彼もが利用する生活道路なんですねぇ、この辺りでは(-_-)
これらの道は『藤原京』とも深く関わっていて、本に載っていた藤原京復元模式図を眺めながら、かなりややこしい事を考え始めてしまいました。
藤原京の条坊がしっかり頭に入らないのは、この都城の範囲に諸説あるためなんですね。
最初に条や坊の名前をつけた時から比べ、現在の発掘調査によって分かった範囲が東西南北全ての方向に広がっているのですから、何条何坊と言われても平城京のように一目瞭然に収まらないのですわ。
こんな事から端を発して、またもや奇妙な話を考え始めてしまったので……適当なところで自粛(-_-;)
二十年以上前からやっている割には、雑誌などであまり紹介されているのを見た事がないのですが、知る人ぞ知る息の長いお店です。
最寄の駅は近鉄大和八木、国道24号線を北上し、近鉄百貨店の前の交差点から更に二つほど行った信号を右にUターンするように入った道のすぐ脇にあります。
『ティールームcha cha cha』という名前で、紅茶専門店と謳っていますが、常連さんにとってはヴォリュームのあるサンドウィッチやハンドメイドケーキの印象も強いのではないかと思います。
私も月に3~4度は出没して、大抵一時間以上ねばっております。
長居をするには、かなり打ってつけのお店ではないでしょうか。
紅茶を頼むと、大抵がこのようにポットで出てきます。
このようにケーキをつけても6~700円、これにミニサンドウィッチをつけても8~900円ですから、ここの常連になったら、他の店がやたらに高いお茶に感じていけません(^^ゞ
ミニサンドウィッチと言いましたが、これが全然ミニじゃなくて、女性ならこれだけで充分おなかが一杯になります。
食べ切れなければ持ち帰りも可(~_~)
さて、どうして今更ながらにこのお店の紹介など始めたかと申しますと、今日の夕方、早めの夕食にここで件のサンドウィッチを食べておりました。
その時に読んでいた本が、先日の万葉ホールでの講演会で買って来た『歴史の道を行く』だったんです。
『下つ道』の案内を読んでおりまして、はたと気づいたのが、このお店の近辺が書かれているという事。
国道24号線と下つ道の交わる『新賀町』の交差点って、すぐそこじゃないの……まさに近鉄百貨店から二つ目の信号です。
私がその時座っていた席から窓越しに眺めていた生活道路は、まさにこの『下つ道』なんですわ。
『下つ道』を南下すると小房の交差点に出て、ここから道は『国道169号線』になります。
いつも買い物やら遊びやらに、車で走っている道です。
『横大路』は通勤路だし、『阿部山田道』も明日香から桜井に抜ける時に時々走るし、古代の道と仰々しく言っても、実は誰も彼もが利用する生活道路なんですねぇ、この辺りでは(-_-)
これらの道は『藤原京』とも深く関わっていて、本に載っていた藤原京復元模式図を眺めながら、かなりややこしい事を考え始めてしまいました。
藤原京の条坊がしっかり頭に入らないのは、この都城の範囲に諸説あるためなんですね。
最初に条や坊の名前をつけた時から比べ、現在の発掘調査によって分かった範囲が東西南北全ての方向に広がっているのですから、何条何坊と言われても平城京のように一目瞭然に収まらないのですわ。
こんな事から端を発して、またもや奇妙な話を考え始めてしまったので……適当なところで自粛(-_-;)
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