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ここで『大道』と言っているのは、メインストリートの事ではなくて固有名詞です。
推古天皇の二十一年十一月、「難波より都に至るまで大道を置く」とありまして、これは後の『竹之内街道』の事でだろうと考えられています。
難波の宮の中心線の延長上に、幅19メートルにもなる古代の道の遺構を検出した事例もあり、これが『日本書紀』に見える『難波大道』の可能性は極めて高いとされています。
難波から竹之内峠を超えて大和に入った道は『横大路』となり、藤原京の三条大路につながります。
古代から近世、現代にまでこれらの道は残っています。
特に『横大路』は橿原市や大和高田市内を貫くように残っていて、今でも生活道路として利用されています。
何せ、私にとっては通勤路ですからσ(^◇^;)
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