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切れの良いところでとめたので、今日は短いです(^^ゞ
さて、チョロチョロと藤原史という大舎人がこの先も出てきますが、この人はご存知のように藤原鎌足の息子です。
『日本書紀』にはこの字で出てきますが、『続日本紀』では不比等の字を当てていますし、歴史の本などにもこの表記が一般ですので、こちらの方が有名でしょう。
『日本書紀』への初出は、持統天皇三年(うめぞー的に言いますと日嗣皇子称制三年)二月に判事に任命された時で、ここでも「直廣肆藤原朝臣史」となっています。
直廣肆は大宝律令では従五位下相当、ようやく参内が敵う階級です。
この人が若い時に大舎人だったという記録は全くなく、これを最初に言い出したのは、私の記憶では梅原猛氏か上山春平氏のどちらかです。
あの有名(?)な稗田阿礼は藤原不比等のペンネーム(?)という説ですね。
古事記の序に、稗田阿礼は二十八歳の大舎人と書いてあるところから、天武天皇の崩御した時、やはり二十八歳だった不比等が怪しい……とか何とかσ(^◇^;)
稗田阿礼かどうかは兎も角、大舎人(後には内舎人に代わる)はエリートへの入口みたいな役職だったので、かなり無難な線ではないかと思っています。
息子も孫も、内舎人から出世した人が多いですしね。
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