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奈良県高市郡明日香村の甘樫丘の東の麓から、石垣と三期に及ぶ造成の跡と、それに伴う建物跡などの遺構が検出されて、『日本書紀』にあるよう、ここが七世紀に蘇我本宗家に関係する遺跡ではないのかと、新聞の一面にカラーの写真入で大きく報道されたのは先週末でしたか。
その現地説明会が本日行われたので、割合近所という事もあって出かけて参りました。
車で行こうものなら駐車場探しに奔走するとばかり、最初から歩いて行く事と致しました。
飛鳥川沿いにフラフラと歩いて一時間弱くらいでしょうか(^_^;)
途中で鴨やカイツブリがいるのを眺めていたら、カワセミまで出て来てくれました。
あの(橿原辺りでは)汚い飛鳥川に渓流の宝石がいるんですから……と言いましても、溜池や古墳の周溝などでも時たま見かけます(^^ゞ
鳥はさて置き、今回は昨年の調査の北東位置に広めのトレンチを開けていました。
この画像では良く分からないですが、どうして建物の方向がこうもバラバラなんでしょう?というのが真先に持った印象です。
三期にわたる造成なのに、それ以上に建物の方向があちらを向いたりこちらを向いたり……頻繁に色々な目的の建物が建ったのか?
そしてこれが、第一期の造成の時に造られたという石垣です。
これを設けて、谷間の半分を一段高く造成しているんですね。
こいつがトレンチのほぼ真中を南北に貫いているのは、なかなかに迫力があります。
第二期にはこれを埋め立て、全体的に平らに整地し、石敷きや建物を建てています。
ここで注目すべきが二棟の総柱建物で、倉庫であろうと考えられています。
NHKスペシャルではこれを武器庫と言ってましたが、時期的には七世紀の中頃から後半との事、さて、蘇我氏と安直に結び付けられますやら(-_-;)
第三期は藤原京に遷都した後の時代。
更に土を盛って炉のある建物を建てていたようです。
この炉の残りがとても良く、写真パネルでは展示されていましたが、トレンチの奥の方でチョッと良く見えませんでした。
それにしても今回の調査では、消失の痕跡が全然確認されなかったようで、この辺りも解釈の分かれる所ではないでしょうか?
昨年のトレンチの画像は本家Blogにあるのですが、とにかくサーバーが激重状態で、探すに探せないんです(T_T)
あっ、何とか見つかりました。
http://umezo.bakeinu.jp/entry/20540/ こちらですね。
そういう訳で、もう一つの現説『飛鳥京175次』の報告は明日にでもm(__)m