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東院は文字通り平城宮の東の端に位置する宮殿です。
昨年度より五カ年計画で、この地区の発掘調査が行われています。
担当はいつものように、奈良文化財研究所です(^^ゞ
今までにも何度か、この地区の現地説明会の報告をしていますが、今回もあまり変わり映えのない内容かもしれません。
この地区は八代の天皇により、五期に渡って様相が変わっているので、とにかく複雑に遺構が重なり合っています。
第1期が奈良時代前半、第2期が聖武天皇の平城還都(天平十七年)の頃、第3期が孝謙女帝の頃、第4期は重祚した称徳女帝の頃、そして第5期は光仁天皇の楊梅宮(やまもものみや)の頃だろうと考えられています。
今回の調査区でも、各期に渡って長大な建物跡が検出されています。
しかし第4期だけは、どうやらく建物のない箇所だったようです。
しかしこの時期、この東には回廊を伴なう中心的な建物が、西には倉庫とも楼閣とも考えられる、巨大な総柱の建物が存在していた事が確認されています。
このように頻繁に性格の違う建築物が建てられているのですが、大方の物は耐用年数が来る前に建て替えられており、天皇の代替わりによって、この場所の利用法も変わっている事が推測できます。
今回の出土品で特殊な物といえば、緑釉を施した磚(せん)でしょうか。
磚というのはレンガやタイルの様な、床に敷かれた焼き物です。
上の写真にあるように、破片で出土しています。
宮内の建物に伴なう部材は、この後の長岡京に運ばれているため、完全な形の物は、まず出てこないと思われます。
解体時に壊れた物が放置され、こうして千年以上たってから、日の目を見ている訳です。
ちなみに東院には緑釉の瓦で葺かれた建物もあったようで、資料館にはこの写真のように、かなり完形に近い軒丸瓦と軒平瓦が展示されています。
発掘調査はこの後も場所を変えて続けられ、今回の現地説明会の地区の西側に新たな調査区が広がりつつありました。
次の箇所では、さてどのような発見があるのでしょう、期待を大にしております。
昨年度より五カ年計画で、この地区の発掘調査が行われています。
担当はいつものように、奈良文化財研究所です(^^ゞ
今までにも何度か、この地区の現地説明会の報告をしていますが、今回もあまり変わり映えのない内容かもしれません。
この地区は八代の天皇により、五期に渡って様相が変わっているので、とにかく複雑に遺構が重なり合っています。
第1期が奈良時代前半、第2期が聖武天皇の平城還都(天平十七年)の頃、第3期が孝謙女帝の頃、第4期は重祚した称徳女帝の頃、そして第5期は光仁天皇の楊梅宮(やまもものみや)の頃だろうと考えられています。
今回の調査区でも、各期に渡って長大な建物跡が検出されています。
しかし第4期だけは、どうやらく建物のない箇所だったようです。
しかしこの時期、この東には回廊を伴なう中心的な建物が、西には倉庫とも楼閣とも考えられる、巨大な総柱の建物が存在していた事が確認されています。
このように頻繁に性格の違う建築物が建てられているのですが、大方の物は耐用年数が来る前に建て替えられており、天皇の代替わりによって、この場所の利用法も変わっている事が推測できます。
今回の出土品で特殊な物といえば、緑釉を施した磚(せん)でしょうか。
磚というのはレンガやタイルの様な、床に敷かれた焼き物です。
上の写真にあるように、破片で出土しています。
宮内の建物に伴なう部材は、この後の長岡京に運ばれているため、完全な形の物は、まず出てこないと思われます。
解体時に壊れた物が放置され、こうして千年以上たってから、日の目を見ている訳です。
ちなみに東院には緑釉の瓦で葺かれた建物もあったようで、資料館にはこの写真のように、かなり完形に近い軒丸瓦と軒平瓦が展示されています。
発掘調査はこの後も場所を変えて続けられ、今回の現地説明会の地区の西側に新たな調査区が広がりつつありました。
次の箇所では、さてどのような発見があるのでしょう、期待を大にしております。
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毎回、楽しみです!
現地説明会の報告をいつも楽しませて頂いています。
写真付きでしかも興味深い解説付きで報告して下さって感謝です!
これからドンドン調査が進むのですね。ホント楽しみですね~。
先週から始まったドラマ『鹿男あをによし』
大好きな奈良が舞台なのでしっかりと見ております。何だか非常にゆったりとした感じのドラマですね。
「マイ鹿」には笑いました。あと「駐鹿場」ちゃんと駐鹿場につながないと駐禁とられるんだって・・・?
このドラマを見て奈良が好きになる人が増えるのではないでしょうか。
私はドラマを見る前から奈良が好きですよ~。
明後日も現説予定(ーー;)
レスが遅れまして申し訳ありません。
この一週間、残業続きで、返ってくるのが大抵22時前後……滅多にないことですがσ(^◇^;)
おかげで三日ほどパソコンを立ち上げずにおりました。
そういえばこの調査、新聞では地鎮具をメインに扱っていたようですが、現説では現物は既に取上げられ、遺物の整理も途中との事で、写真パネルと出土地点の説明だけで終っていました。
明後日の日曜日も、橿原市内で橿考研の現説があります。
行けるか否か、チョイト微妙かな?
『鹿男あをによし』……昨日も返って来たのが遅かったので、ビデオには撮ったものの、まだ見ておりません(-_-;)
多分、明日(久々の休日出勤)以降は残業もなくなるので、帰って来てからゆっくり見るつもりです。