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方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)とは、弥生時代の代表的なお墓です。
四角くて周囲に堀があります。
ただいま中和地区は京奈和自動車道の建設に伴なう、発掘調査の真っ最中です。
ここは橿原市観音寺、インターチェンジの予定地のを橿原考古学研究所が発掘したところ、件の方形周溝墓が17基ほど出てまいりました。
しかし、この写真で分かりますよう、墳丘はまったく残っておらず、周溝も何とか確認できる程度の深さです。
ごらんのように、主体部のあったはずの場所には、中近世の畑の畝の跡がありありと残っています(ーー;)
一体が畑になる以前にも、すぐ近くに川があったようで、度々の洪水に見舞われたのか、これらの墓を壊して川に向かう溝も掘られています。
出土遺物も割合に少なく、弥生時代中期の壺が周溝から数点、出土しています。
それでも、このように見事な供献土器らしき壺も見つかっています。
一方、氾濫を起こしたらしい川からは、古墳時代の小型丸底壺などが出ていて、お墓よりも川の方が新しい事が分かります。
方形周溝墓の乗っているベースの下は砂の層、どうしてこのような安定のよくない低い場所に墓域を定めたのやら、葬られた人々の暮らしたムラはどの辺りにあったのか、この後の周辺の調査や地形などを検討して、少しずつ昔々を探って行く、地味で気の長い仕事がこれからも続きます。
しかし今日も寒い日で、この説明会の後も思い出したように一日中、雪がちらついていました。
奈良の冬はもう少し続きそうです。
四角くて周囲に堀があります。
ただいま中和地区は京奈和自動車道の建設に伴なう、発掘調査の真っ最中です。
ここは橿原市観音寺、インターチェンジの予定地のを橿原考古学研究所が発掘したところ、件の方形周溝墓が17基ほど出てまいりました。
しかし、この写真で分かりますよう、墳丘はまったく残っておらず、周溝も何とか確認できる程度の深さです。
ごらんのように、主体部のあったはずの場所には、中近世の畑の畝の跡がありありと残っています(ーー;)
一体が畑になる以前にも、すぐ近くに川があったようで、度々の洪水に見舞われたのか、これらの墓を壊して川に向かう溝も掘られています。
出土遺物も割合に少なく、弥生時代中期の壺が周溝から数点、出土しています。
それでも、このように見事な供献土器らしき壺も見つかっています。
一方、氾濫を起こしたらしい川からは、古墳時代の小型丸底壺などが出ていて、お墓よりも川の方が新しい事が分かります。
方形周溝墓の乗っているベースの下は砂の層、どうしてこのような安定のよくない低い場所に墓域を定めたのやら、葬られた人々の暮らしたムラはどの辺りにあったのか、この後の周辺の調査や地形などを検討して、少しずつ昔々を探って行く、地味で気の長い仕事がこれからも続きます。
しかし今日も寒い日で、この説明会の後も思い出したように一日中、雪がちらついていました。
奈良の冬はもう少し続きそうです。
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トンボってなに?