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買い物を済ませて、友達に送る物を郵便局に出しに言った後、行きつけの喫茶店でケーキセットなどを前に、先日コピーしまくってきた論文の類を読んでおりました。
その一つが、随分前からタイトルは聞いていた『志貴皇子系譜の疑問―市原王は志貴皇子の曾孫ではない―』という、塩谷香織氏の論文です。
これが書かれたのは随分以前の事、1980年3月だそうです。
この塩谷氏のプロフィールが分からず、検索をかけてみても同姓同名の獣医師や日本茶コーディネーターの方ばかりが出て来す。
この塩谷氏らしき方が共著の形で出版している論文集を見ても、1980年代の物ばかりなので、この論文を書かれた当時に学習院大学の学生か院生か講師かも分からない状況です。
それはさて置き、拝読して分かった事と言えば、こうした研究者の方々のやっている事も、私のやっている作業と殆ど代わらないと言う事です。
何を失礼極まる事をほざくかと思われましょうが、大まかに言いますと↓の戯言に同様の作業を史料をひっくり返してやっておられます。
http://umezo.bakeinu.jp/entry/16392/
勿論、私のように最初から大風呂敷だの与太だの大枚妄想だのとは言っておられず、きわめて真摯な姿勢で取り組んでおられ、多方面からの論証を加えておられる訳なのですが。
そして塩谷氏の結論は、私の疑問点の2番と言う結論になる訳です。
それ故に、『新撰姓氏録』の“春原朝臣は河嶋皇子の後なり”を支持する事となり、市原王の祖父(つまり安貴王の父親)である春日王は、文武三年六月に浄大肆で亡くなった御方で、川嶋皇子の子供となります。
この説に反論する気は殆どないのですが、今まで書いて来た話の内容からすると、今更、路線変更する気も全然ありません。
何せ私は、見てきたような嘘八百で大風呂敷を広げまくる、与太な物書きですからσ(^◇^;)
それにしても市原王という人は、私の書く話にもかなりの頻度で登場します。
うちのスメラミコトの同母姉の背の君と言うわけで、二人に文人連中を加えて、いつも四条二坊の第で話し込んでおります。
何ちゅうか、皇太子様と故高円宮様みたいな関係でしょうかね(~_~)
私としては、この御仁に対する思い込みは、結構深い方だと思っております。
http://umezo.bakeinu.jp/entry/29382/
う~ん、やっぱり志貴親王の話はお預けになるのか、この様子では(ーー;)
そうそう、上記の春日王について↓こういう戯言も書いたっけ^_^;
http://umezo.bakeinu.jp/entry/12117/
SecondPageになった方のブログって検索が利かないから、思い出したつど、こっちにリンクでも張っておかないと、探すのに苦労しますわ(・.・;)
その一つが、随分前からタイトルは聞いていた『志貴皇子系譜の疑問―市原王は志貴皇子の曾孫ではない―』という、塩谷香織氏の論文です。
これが書かれたのは随分以前の事、1980年3月だそうです。
この塩谷氏のプロフィールが分からず、検索をかけてみても同姓同名の獣医師や日本茶コーディネーターの方ばかりが出て来す。
この塩谷氏らしき方が共著の形で出版している論文集を見ても、1980年代の物ばかりなので、この論文を書かれた当時に学習院大学の学生か院生か講師かも分からない状況です。
それはさて置き、拝読して分かった事と言えば、こうした研究者の方々のやっている事も、私のやっている作業と殆ど代わらないと言う事です。
何を失礼極まる事をほざくかと思われましょうが、大まかに言いますと↓の戯言に同様の作業を史料をひっくり返してやっておられます。
http://umezo.bakeinu.jp/entry/16392/
勿論、私のように最初から大風呂敷だの与太だの大枚妄想だのとは言っておられず、きわめて真摯な姿勢で取り組んでおられ、多方面からの論証を加えておられる訳なのですが。
そして塩谷氏の結論は、私の疑問点の2番と言う結論になる訳です。
それ故に、『新撰姓氏録』の“春原朝臣は河嶋皇子の後なり”を支持する事となり、市原王の祖父(つまり安貴王の父親)である春日王は、文武三年六月に浄大肆で亡くなった御方で、川嶋皇子の子供となります。
この説に反論する気は殆どないのですが、今まで書いて来た話の内容からすると、今更、路線変更する気も全然ありません。
何せ私は、見てきたような嘘八百で大風呂敷を広げまくる、与太な物書きですからσ(^◇^;)
それにしても市原王という人は、私の書く話にもかなりの頻度で登場します。
うちのスメラミコトの同母姉の背の君と言うわけで、二人に文人連中を加えて、いつも四条二坊の第で話し込んでおります。
何ちゅうか、皇太子様と故高円宮様みたいな関係でしょうかね(~_~)
私としては、この御仁に対する思い込みは、結構深い方だと思っております。
http://umezo.bakeinu.jp/entry/29382/
う~ん、やっぱり志貴親王の話はお預けになるのか、この様子では(ーー;)
そうそう、上記の春日王について↓こういう戯言も書いたっけ^_^;
http://umezo.bakeinu.jp/entry/12117/
SecondPageになった方のブログって検索が利かないから、思い出したつど、こっちにリンクでも張っておかないと、探すのに苦労しますわ(・.・;)
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ありがとうございます
この論文は学習院大学院修士課程2年の時のものです。1986年以降は姓が変わりました。
論文お読みくださって本当に嬉しいです。有難うございました。
いえいえ、こちらこそ……
武市様の論文のタイトルを知ったのは既に十年以上前、角川から出ていた『平安時代事典』の何かの項目の参考文献だったと思います。
それ以来、不遜にも私と同じような疑問を持った研究者がいるんだと、何やら調子に乗りまして、機会があったら是非読んでみたいと思っていました。
偶然にも見つけた先は明日香村にある『万葉文化館』に置かれていた、万葉集に関する論文集でした。
それにしても、このような形で御返事が頂けるとは夢にも思っていませんでしたので感激しています。
こちらこそ本当に、ありがとうございますm(__)m