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天平十七年四月十三日に流罪になっていた塩焼王に入京を許したとあり、良く前後を見てみますと、四月二十七日に大赦の詔が出ております。
何だ……やっぱり大赦じゃないの。
これは多分、この月の初めに連続して起きた山野火災(誰が考えても放火ですね)にショックを受けての大赦なのだと思うのですが。
この大赦、すでに十三日には決まっていて、内記に宣命の作成を命じると同じくらいに、配流先に人をやってこの事を塩焼王に報告に行ったのだと思います。
そして正式の発表は、すでに塩焼王が入京している二十七日なのでしょう。
まぁ、この辺は良いのですが……
分からないのは、この人がいったい何をして流刑になったのか、そして一緒に流刑が決まった五人の女性はどこの司に所属していたんでしょう?
平城京の獄舎に入れられたとあるから……捕縛された所も平城なのかしら?
う~ん、分からない(/_;)
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