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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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喪葬令第二十六-4
凡そ百官職に在りて薨卒せば、当司分番して喪に会せよ。親王及び太政大臣、散一位は、治部の大輔喪の事を監護せよ。(以下略)

続日本紀 巻第十五  天平十六年閏一月丁丑(13日)
(安積親王が)薨しぬ。時に年十七。従四位下大市王・紀朝臣飯麻呂らを遣して葬の事を監護らしむ。

さ~て、ここから分かる事は何?
多分、天平十六年の閏一月現在の治部大輔は、大市王紀飯麻呂だったというところでしょうか。

大市王は長親王の子で、多分下から数えた方が早いくらいの位置にいるのかな?
え~と、第七子でしたかね。
孫王として従四位下に叙位されたのが天平十一年とありますから、結構スロースターターですねぇ。
五つ年下の白壁王が天平九年に最初の叙位をされているのと比べるとなのですが、まぁ、孫王でも長子だとか正室の子ででもない場合は、三十過ぎが普通ですから、白壁王が若干早いのね。
この人の奥さんは確か、白壁王の異母姉の坂合部女王でしたか。
そのせいか、晩年はかなり出世するんですけれどね。
後に文室真人を賜姓されて、大納言にまでなるのでしたっけ……(ーー゛)調べろって

ところで問題とするのは大市王ではなくて、葬儀の事ですね。
お公家さんの場合は、どなたかお亡くなりになったら、やはり家でお葬式を出すのでしょうねぇ。
では宮(っちゅうか、家政機関)を構える前の親王や内親王は?
母親の実家……って事はないよねぇ。
まさかと思うけど、内裏じゃ葬儀は出さないでしょう?

それから葬儀の監護者たちは、何日くらい喪服を着用したの?
天皇は親王の葬儀に当っては、喪服とされる錫紵(しゃくじょ)を三日ほど着用されたらしいのですが、諸臣もこれに倣うのかしらねぇ??
桓武天皇なんて、父親が崩御した時には、全国に向けて半年ほど喪服を着ておけと命じてますけど、まぁ、この人はやる事なす事が大げさですから……ε-( ̄ヘ ̄)┌

ところで喪服の色はどうしましょう。
白か鈍色か、迷うところですわねぇ。
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