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この前の日曜日に見た限り、奈良公園ではまだ咲いておりませんので、かなり早咲きの木のようです。
ともあれ馬酔木とも浄瑠璃寺とも関係なく、ここ何日か眺めている『日本後紀』の記事の事。
この史料も講談社学術文庫から、全現代語訳のテキストが出ておりますので、私のようなド素人でも目にする事が出来ます。
『日本後紀』は40巻中30巻が散逸しているそうで、この部分を『日本紀略』などの記述を引用して補ってくれているので、大まかな時代の流れをつかむ事は可能です。
さて、この散逸した部分の延暦12年8月21日に、なんとも奇妙な記事が見えます。
内舎人と帯刀舎人(たちはきのとねり)の二人が、同僚らしき男を殺害して指名手配をかけられた揚句に、私刑とも思える方法で処刑されたという内容ですが、この後に殺人を行った二人は皇太子の密命を受けていたと噂された云々……
この時の皇太子は安殿親王、後に平城天皇となる人です。
この人のキャラクターを考える上で、この後の大同二年に起こる伊予親王の謀反事件(明らかに冤罪とあちこちに書かれている……)、弘仁元年の藤原薬子の変、それ以前に桓武天皇崩御の後、遺勅に反して御陵の場所を変更している件など、かなりのマイナス要因を見る事が出来るような気がします。
このように考えていると、殺人の密命を舎人に下したという噂も、あながちない事ではないだろうと思えて来るものだったりします……(゜.゜)
それにしても安殿親王と藤原緒嗣とはどういう関係なんだろう?目下の疑問です。
まずはこの二人、同じ年に生まれています。
皇太子即位の当初はかなり意気投合して、政策に乗り出しているように見えるのですが、大同三年にいきなり緒嗣が陸奥出羽按察使に任命され、再三にごねた後、多賀城に下っています。
この人も父親同様、幾つもの職を兼務していますが、期待のかけられ方は別物のような気がします。
まあ、記録を馬鹿正直に眺めておりますと、この後に後宮の並み居る内侍を押しのけて、かの藤原薬子が三位をもらって台頭するという構図は見えてまいりますが……
この女性も、最近の小説などでは決して悪女という描かれ方をされていないようで、どういう訳か平城天皇(太上天皇)とは純愛???のようなケースも見られたりします。
……チョイト、賛同は致しかねますが、多分一番の悪人が彼女でない事は分かるような気が致します。
それよりも、主人公どうしよう……まだ決まってない・゚・(ノД`;)・゚・
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