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粟生江内親王と五百枝王の物語を書こうかと、その周辺を見回していたのがこの二~三日なのですが、やっぱりうまく扱えない人がいるんですねぇ。
それが早良親王という人。
この人の前半生のプロフィールが巧くまとまらないのですね。
十一歳での出家の意味づけが未だに出来ないし、東大寺や大安寺で何をしていたのかもちゃんと調べていないのもあります。
逆に、どうして還俗したのかは割合に納得しやすくて、その後に皇太子の同母兄と組んで、そのような政策(恐らくこの頃には、父帝は病がちだったと思われます)を推進していったのかも推測は出来ます。
しかし、兄が即位した後にどういう過程で仲違いするのか、この辺の整理も巧くつかないです。
う~~~ん、これってもしかして、キャラクターへの思い入れの度合いがイマイチだからなのかなぁ?
もう一人巧く扱えないのが、大伴家持。
この人に関しては、早良親王以上に思い入れが少ないかもσ(^◇^;)
ただねぇ、この御仁らが動いてくれないと、五百枝王も動かないのよね。
父親の市原王との関わりで、この御仁が父親を早く無くした五百枝王にとって、割合に重要な人物になり得るはずなんですが、この役割をする人が別に出て来る可能性があるくらい……いや、実際、以前に書いていた話には出て来るんですよね(-_-;)
やっぱり、百済王真鳥と志貴親王の話を書こうかな。
今日の仕事中、こちらの路線で考えていたんですが、この前書いた話のお陰で変な方向にエキサイトしそうな予感が既に……(*_*;
突っ走ると、一体何の話か分からなくなりそうな?
まぁ、とりあえずこちらで書き始めてみようかしら。
それが早良親王という人。
この人の前半生のプロフィールが巧くまとまらないのですね。
十一歳での出家の意味づけが未だに出来ないし、東大寺や大安寺で何をしていたのかもちゃんと調べていないのもあります。
逆に、どうして還俗したのかは割合に納得しやすくて、その後に皇太子の同母兄と組んで、そのような政策(恐らくこの頃には、父帝は病がちだったと思われます)を推進していったのかも推測は出来ます。
しかし、兄が即位した後にどういう過程で仲違いするのか、この辺の整理も巧くつかないです。
う~~~ん、これってもしかして、キャラクターへの思い入れの度合いがイマイチだからなのかなぁ?
もう一人巧く扱えないのが、大伴家持。
この人に関しては、早良親王以上に思い入れが少ないかもσ(^◇^;)
ただねぇ、この御仁らが動いてくれないと、五百枝王も動かないのよね。
父親の市原王との関わりで、この御仁が父親を早く無くした五百枝王にとって、割合に重要な人物になり得るはずなんですが、この役割をする人が別に出て来る可能性があるくらい……いや、実際、以前に書いていた話には出て来るんですよね(-_-;)
やっぱり、百済王真鳥と志貴親王の話を書こうかな。
今日の仕事中、こちらの路線で考えていたんですが、この前書いた話のお陰で変な方向にエキサイトしそうな予感が既に……(*_*;
突っ走ると、一体何の話か分からなくなりそうな?
まぁ、とりあえずこちらで書き始めてみようかしら。
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