忍者ブログ

うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

HOME Admin Write
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『続日本紀』に粟田諸姉(あわたのもろね)という人の名前が出て来るのは二箇所だけ、最初は淳仁天皇(大炊王・淡路廃帝)の即位前期、そして天平宝字二年八月一日、淳仁即位に際しての叙位の時です。

大納言藤原朝臣仲麻呂の長男で、亡くなった真従(まより)の未亡人と再婚して田村第(仲麻呂の屋敷)に住んでいたという記事が最初のものです。
この時の記述では『粟田諸姉』、具体的な日付は分かりません。

そして大炊王が阿部女帝から位を譲られて即位した同日、阿部太上天皇光明皇太后に尊号を贈り、官人と女官らに叙位を行っています。
『無位の粟田朝臣諸姉に従五位下』という具合に、ここでは朝臣の姓が記されています。

天武天皇の『八色の姓』の制により、粟田氏は朝臣の姓を賜わります。
しかし、粟田氏が全て『粟田朝臣』になった訳ではありません。
『天平宝字三年七月十三日、内薬佑従七位下粟田臣道麿に姓朝臣を賜ふ』
この記事が示すように、天武十三年には漏れている人たちもいた訳です。

この粟田道麻呂と粟田諸姉の関係をでっちあげましょうと、少しばかり調べ始めているのですが、やはり巧く行かないようです(・.・;)
諸姉という名前から考えて、この女性は長女なのかもしれません。
なので道麻呂を諸姉の弟にしようかと思ったのですが、姉が天皇の夫人となった直後に出世するならともかく、この人の出世スピードはちょっとゆっくり過ぎます。

朝臣の賜姓が約一年後、正六位上から外従五位下に叙位されるのは天平宝字八年、五年も後になります。
初出の時は従七位下、それが五年で外位とは言え、八階位も上の五位になるのは大したものです。
有能な地方出身者の、かなり順調な出世の例ではあるのですが、天皇の夫人の弟のプロフィールとしては、あまりにぞんざいな扱いにも思えます。

大臣家との婚礼もあるような本家の御令嬢と、田舎の分家の息子程度の関係なんだろうか?
まぁ、その程度の関係でも何か出世の足掛かりになる要因もあるのかも……もう少し考えてみましょうっと(-_-)
PR
この記事へのコメント
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
文字色
絵文字 Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメント
パスワード   コメント編集用パスワード
 管理人のみ閲覧
おまえは誰か
HN:
うめぞー
性別:
非公開
自己紹介:
明日は歴史作家!

カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

お天気情報

-天気予報コム-

最新コメント
[02/06 賀茂史女]
[02/05 うめぞー]
[02/02 賀茂史女]
[01/30 うめぞー]
[01/30 マム]

ブログ内検索

メールフォームです
今日の参考に

Copyright ©  -- うめぞー、思案中 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by 押し花とアイコン / Powered by [PR]
 / 忍者ブログ