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『続日本紀』延暦四年十一月八日の記事に、下記のように見えます。
能登守従五位下三国真人広見、謀反を誣告するに坐せられて、斬すべけれども、死一等を減して佐渡国に配さる。
件の藤原種継の暗殺劇から一月半の後です。
三国広見はこの時は既に能登守ではなく、前能登守が正しいようです。
能登守の前には越後介、就任したのは延暦元年の六月です。
その前には主油正(あぶらのかみ)ですが、この事件が起きた時に都にいたとしても、暫く地方に赴任していたのだと思われます。
それとも能登守は遥任で、延暦年間の初めから都にいたのでしょうか。
この人の誣告と、種継暗殺事件とが関わりがあるのか、全く別の騒ぎなのか、史料を眺めていてもはっきり分かる事は無いようです。
長岡遷都間もない次期ですから、件の事件前後にも、謀反騒ぎに結びつくような不穏な動きがあってもおかしく無い情勢なのかもしれません。
こういうネタに、安直に飛びつくべきやら……どうもまだ、時代や人物をはっきりと掌握していないのが、我ながら良く分かって情けないかな(~_~;)
相変わらず、主人公がどこにもいない……今回はかなり至難なパターンだわ(ーー;)
能登守従五位下三国真人広見、謀反を誣告するに坐せられて、斬すべけれども、死一等を減して佐渡国に配さる。
件の藤原種継の暗殺劇から一月半の後です。
三国広見はこの時は既に能登守ではなく、前能登守が正しいようです。
能登守の前には越後介、就任したのは延暦元年の六月です。
その前には主油正(あぶらのかみ)ですが、この事件が起きた時に都にいたとしても、暫く地方に赴任していたのだと思われます。
それとも能登守は遥任で、延暦年間の初めから都にいたのでしょうか。
この人の誣告と、種継暗殺事件とが関わりがあるのか、全く別の騒ぎなのか、史料を眺めていてもはっきり分かる事は無いようです。
長岡遷都間もない次期ですから、件の事件前後にも、謀反騒ぎに結びつくような不穏な動きがあってもおかしく無い情勢なのかもしれません。
こういうネタに、安直に飛びつくべきやら……どうもまだ、時代や人物をはっきりと掌握していないのが、我ながら良く分かって情けないかな(~_~;)
相変わらず、主人公がどこにもいない……今回はかなり至難なパターンだわ(ーー;)
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継って…なんだろ