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淡路国を大炊親王に賜ふ。国内に有(たも)てる官物調庸等の類はその用いる所に任す。
このように阿部太上天皇が詔をしたのは、天平宝字八年十月九日の事。
天皇の更迭事件は、考えてみれば奇妙な事に、恵美押勝の乱の後に起きています。
通説というのは、常に疑う余地があると思うのですが、この事件も私にとってはその対象になります。
よく言われるのは、藤原恵美朝臣押勝の傀儡として大炊天皇がいて、それに道鏡法王とタッグを組んだ阿部太上天皇が対抗している状況から謀叛騒ぎが起きて、押勝側が敗走、近江にて討たれるという筋書きなんですが、どうしてこの時に大炊天皇の動きが全くないんでしょう。
中宮院にあった駅鈴と内印を回収したところから、謀叛事件が始まるようなものなのですが、中宮院にいたはずの大炊天皇はどうしていた訳でしょう?
一緒に近江にトンズラしたのは塩焼王なんですよね……どういう経緯でこの人が出て来るんでしょう。
こいつに疑問を持って以前に物語を書いたのですが、この時も時間切れで端折りまくったような内容でした。
その割には、公募で出した先での評価はそこそこ良い方だったんですけどね(^^ゞ
やっぱり、こいつをもう少し練り直したいし、もう少し話を進めたいんですよね。
それにしても『恵美押勝の変』とか乱とかいうけれど、この段階でこの人は藤原の氏を剥奪されて、下賜された押勝の名前も取り上げられたのだから、恵美仲麻呂なんですよ。
阿部太上天皇も詔の中で、そのように呼んでいますしね。
まぁ、その辺りは別にしても、この謀叛事件の裏、もう少し穿っても良いんですよね。
そして冒頭に上げた女帝の詔、私の設定では、こいつは嫌味にも聞こえる内容です。
女帝――阿部太上天皇に謀叛にも近い事をしようとしたのは、押勝よりも大炊天皇の方かもしれません……この若い天皇は、一体何を考えていたんでしょう。
うちのスメラミコトはその事、知ってるの??
勿論、この人も腰まで泥沼に踏み込んでますからσ(^◇^;)
てむじんは、動き