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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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俺はナタ天平宝字三年六月十六日、淳仁天皇の詔の宣命の内に
「今より以後、舎人親王を追ひて皇(すめら)とし、崇道尽敬皇帝と称し……」と見えています。
淳仁天皇(大炊王)という人は、○○皇帝という尊号を送るのが好きなのか、その前の年にも譲位した女帝に宝字称徳孝謙皇帝、更に先の天皇には勝宝感神聖武皇帝という名前を贈っています。
いわゆる、称徳・孝謙天皇聖武天皇です。

後に自らを『今皇帝』と称させた御仁もおられますが、皇帝はひとまず置いておきまして、私の意識の内では舎人親王に天皇位が贈られたという事が常々飛んでおりまして、この尊号の事なんぞ、全く失念も良いところ、ほぼ記憶にありませなんだσ(^◇^;)
草壁皇子や、志貴親王、早良親王らへの贈位は、案外、気にしているんですがね……

ここで使われている『』という文字、勿論、崇拝の崇ですから、尊び敬うという意味です。
聞きかじりの俗説だと思うのですが、『崇』という文字が諡号に着く天皇は、悲劇的な亡くなり方をしている云々……どうも、この類には私は疎いです(゜.゜)
これって多分、崇峻天皇崇徳天皇、ついでに崇道天皇(早良親王)の事に限って言ってるんでしょうかねぇ。
何せ私、真っ先に思い出したのが崇神天皇(御間城入彦五十瓊殖)ですから(^_^;)
この御仁が果たして百二十歳まで生きたかは存じませんが、悲劇的な最後を向かえたとは記憶にありません。
舎人親王にしても、悲劇的な要素があるのか否かは分かりませんが、ひょっとしたら豌豆瘡で亡くなっているかもしれません。

こんな事を思い出していて、舎人親王系の諸王らを何か引っ掻き回せないかなどと考えたものの、大炊王と和気王以降は、殆どが臣下に下ろされてしまって、来歴不明も良いところ、清原氏の話じゃ時代が違いすぎるし……再び座礁・゚・(ノД`;)・゚・

ところで先日の戯言に、和気王の事件の時、道鏡禅師小僧都でしかない云々という意味の事を書きましたが、これ、実は間違いです(^^ゞ
天平宝字八年の変(恵美押勝の変)の後、大臣禅師という位をもらったりしております。
「出家の天皇がいるんだから、出家の大臣がいたって良いのよ」という、女帝の一存だったりします。

それにしてもこの時の太政官、右大臣が藤原豊成、大納言が藤原永手、中納言は白壁王藤原真楯、参議にも矢鱈に濃~い面々が連なっております。
女帝がいなけりゃ、やっぱり道鏡禅師にゃ勝ち目はないような……(・.・;)
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