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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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朱雀門閉門橘奈良麻呂の変』のキャストについて、つい最近まで私は変な勘違いをしていた事に気付きました。
そもそも、奈良麻呂が天平十七年に佐伯全成
大伴、佐伯の族(うがら)、この挙(くわだて)に随(したが)はば、前に敵無からむ
などと言って誘っている辺りからの勘違いだと思います。
何をどのように勘違いしていたのかと申しますと、それは大伴古麻呂の登場する時です。

何せこの御仁、謀反の密告があり、喚問が始まった当初から名前が出てくるので、小野東人黄文王同様に最初からの連座者だとばかり思っておりました。
ところが佐伯全成の証言を読んで行きますと、全成が古麻呂に初めて会うのは謀反発覚の前年、つまり天平勝宝八歳四月の事です。
他の連座者の自供内容を見ていても、それ程以前の内容には触れていないので、これらの供述に見る限りは古麻呂という御仁の関与は、割合に後になってからの可能性もあるようです。

それにしてもですよ、天平勝宝七歳11月に(万葉集に寄れば)奈良麻呂の屋敷で宴が開かれた時の出席者に、この御仁は果たしていたのでしょうか?
この宴席で左大臣橘諸兄が不敬発言をしたとして、天皇はこれを不問にしていますが、ここには佐伯全成と美濃麻呂の二人がいた事は窺えます。
では大伴氏の出席者は……さて、家持がいたところで、別段不思議でも何でもありませんが。

この大規模な謀反未遂事件、登場人物はかなり多いのですが、主要な二十人足らずの内にはどうしてだろうと思う人も若干います。
その一人が、大伴古慈斐なのですが、この人のポジションってさっぱり分かりませんわ(~_~;)
結構な年寄りだし、何と行っても故藤原太政大臣の娘婿だったり……

何やら混乱気味なので、考察は明日に続く……とは申せ、この話、今月中にやっつけないと、来月から別の事が割り込んで来るような兆しですし(@_@;)
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