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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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何が分からないって、はっきり申しまして葬儀です。
『喪葬令』を見たところで、分からない事は本当に分かりません。
では今日も例を上げて考えて見ましょう?(゚_。)?(。_゚)?

天応(781)元年二月十七日、三品能登内親王薨しぬ。右大弁正四位下大伴宿禰家持、刑部卿従四位下石川朝臣豊人らを遣して、喪の事を監護らしむ。

能登内親王光仁天皇の娘で、この時に四十九歳でした。
この当日に父親の天皇は詔で、内親王に一品の位を贈り、子供たちを二世王にすると伝えていますので、内親王の葬儀は一品の基準の行われたと考えて良いかと思います。
この辺を以前に、
ここにゴチャゴチャと書いておりますが、なにやら分かるような分からないような……ヴィジュアルとしては、多少イメージは湧くのですが(~_~;)

それでですね……同僚と少し話をしていたのですが、昔々の葬式って、やっぱり家で行ったの?
天皇や皇后の場合は、宮中で行う訳には行かないでしょうから、さて、何処になるんでしょう??
法要は官寺で行っていますけれどねぇ。

能登内親王は市原王の未亡人ですから、住んでいたのは亡夫の家か、父親のかつての屋敷かというところでしょうか、多分、内裏にも東宮院にも西宮院にもいなかったと思います。
既に二十歳を過ぎた息子と娘がいるので、喪主は問題ないとしましょう。
私のプランでは、この人はいつも出て来る左京北一条第に住んでいた事になっていますので、この一坪占有の屋敷で葬儀を行っても良いかなと考えておりますが……
次の問題、この葬儀に出席できた親族って誰?

間違っても父親の光仁天皇は無理(多分、病床の身)でしょうし、母親の高野朝臣新笠(夫人)も出席できるとは思いません。
同母弟の山部皇太子は……これも難しいような?
それじゃ、もう一人の早良親王はどうなのでしょう……この人なら大丈夫かしら??
まぁ、従兄弟の壱志濃王神王なら、監護の側にまわる可能性もありますね。
何せ壱志濃王に至っては、治部省畑の専門屋ですから。
そして次の疑問、服喪は?????

親のみならず、子供に先立たれた天皇は一年間、喪服を着る慣わしがあるようですねぇ。
そして子供たちは、三十日くらいは官職を解かれるようです。
まぁ、五七日が明けたら職場復帰するような感じでしょうかね?
それで……まさかと思うけど、喪服で出勤する訳じゃないでしょうね???


いつもながらに、このような事にばかり引っかかっていて、全然進みやしませんわ(/_;)

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