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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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今考えている話では、早良親王という御仁は宝亀十(779)年の秋に還俗を決めます。
法名を考えないままで書いているから、何ともここまでが書きにくかった事(~_~;)
それはともかく、この御仁は大安寺(っつうか、醍醐寺っつうか……)などに残る記録に信憑性があるのなら、十一歳で出家している事になります。
そもそも、この人の生年や何かはどうやって割り出せば良いんだっけ?
件の超当てにならない『本朝皇胤紹運録』に立太子した天応元(791)年に三十二歳と書かれているのは、何となく知っているんですが、他の史料はあるのかしらねぇ。

ともあれ天応元年に三十二歳ならば、宝亀十年には三十歳、親王宣下されたであろう宝亀元年には二十一歳ですね。
まともな学者などの考察では、この御仁には妻子のいた形跡はないとなっておりますが、与太な物書きうめぞーの考察では、一応妻子持ちです。

古来より良い所の御子息などには、成人した時に夜の勤めの類を教えてくれる年上の女性がおられる訳ですね。
ところが幼少のみぎりで出家して、二十一歳で受戒してじゃ、一般で言うところの成人式というのがないも同然でして……寺には稚児が云々なんてのは、取り合えず脇に置いておきまして(-_-;)
『四分律』の説くところ云々というのも、まぁ、別の話と致しまして……(--)

私の予定では、この御仁の妃となる人は、ちょうど十歳年下です。
この時代、二十歳過ぎれば中年増などと失礼極まりない事を言うそうですが、この女性は立場上と言いますか身分的にも、この年まで誰にも嫁いではおられません。
しつこく設定を申しますと、三十歳で還俗して初めて妻女を迎える男性と、今まで未婚でいた二十歳の女性が結婚する事になる訳ですね。

この二人の結婚生活が上手く行くのか行かないのかの問題ではなく、俗に言うところの男子としての成人の儀式が十代半ばで済んでいない方が問題なんですわね。
考えてみれば、淡海三船なども同じパターンとなるのですが、よい年と言われる頃に還俗をして、その後に家庭を持った人の成人式ってのは、さて、どういうものなのか……
こういう戯けた事を考えてお茶を濁してる暇があったら、さっさとまともな考察をしろというのが、私としての結論ではあるのですが(--〆)

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